あおなじみ

日常生活。恨み節。性別捨てたい非国民。ネガティブ。

某スケートアニメが気持ち悪い

1/19 自分の身に起きたこととか、色々まとめて書きました
http://kurage27.hatenablog.com/entry/2017/01/19/232720

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はい、「ユーリ・オン・アイス」のことです。
夏前くらいに「実在選手の特典がアニメのDVDについていたら買いますか?」というアンケートが公式から出てきた時から非常に不快だったんですけども。
そのアンケートは現役選手の名前がずらりと並んでいて、買う~買わないを各選手ごとに何段階かで選択するという方式だったので、引きました。
あのアンケートで「実在選手をキャラクター扱いして儲ける気なのだな」、「選手は商品なのだな」、「ちゃんと中身で勝負する気がないのだな」と思ってしまいまして。
(いちおう、のちに謝罪してはいるが、制作サイドから否定的なコメントがないのが気になってしまう→http://avex-pictures.co.jp/topic/1689


放送開始して評判が良ければ見ようか・・・とも思ってたけど、アニメのキャプ画像が回ってきてまたまた引いてしまいましたね。
二人の男子選手が妙に近い距離感で意味深に描かれていたり、スケートアニメに必要か?と感じるような裸の入浴シーンのキャプだったんだけど、RT数もすごくて。フィギュアスケートのアニメなのにそういう目で見られているんだなって。
(この辺の文章が誤解を招いてるみたいですが、性的な目線を向けられるよう仕向けたような描写が不快という意味で、同性愛が気持ち悪いというわけではないです)
あと三話で主人公の男子が、相手の男性のスケートを褒めるときに「見てるだけで妊娠しそう」みたいな事を言ってたらしく、その「妊娠しそう」という表現を肯定するようなツイートが回ってきたりして、非常に気持ち悪いなあと。
モノローグだとしても「妊娠しそう」という言葉を選ぶのはどうなんでしょうか。こっちからすると性別関係なくセクハラっぽく感じてしまうし、なぜ性行為前提みたいな言い回ししなきゃならんのだ?と思いました。
キャラクター設定が実在の選手を明らかになぞっているものもあるのに、そういうことしちゃうんだねーと。引きました。


例えば、「ユリオ」と呼ばれているユーリというキャラクターがいますが、この子はユリア・リプニツカヤ選手をモデルにしています。
(ユリア選手参照→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%84%E3%82%AB%E3%83%A4
このユリア選手に似せたのは、作者自身も語っています。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:2MiauuJgv9wJ:www.excite.co.jp/News/anime_hobby/20160822/Animeanime_30108.html
>「ロシアの選手って近寄り難さというか、迫力がすごい。(ユリア・)リプニツカヤ選手を実際に見た時、『これが男の子だったら最高だな』と思って、真っ先にユーリのイメージができました」
とのことです。
ちなみになぜ8/29更新のキャッシュを貼っているのかというと、10/14更新のこの記述が現在の記事(http://a.excite.co.jp/News/anime_hobby/20160822/sum_Animeanime_30108.html)からは削除されているからです。
モデルを実在の選手にしていると公表すると、都合が悪いことでもあるんですかね?


このユーリ似のキャラのお色気シーンもあるみたいなんですけど・・・そういうこともしちゃうんだなと・・・男にすればいいって事なんでしょうか。
https://twitter.com/amcm_tamao/status/790231993258692608
>寺で叩かれるユリオは演出指示で「はだけさせて」「セクシーゾーン」って描いてあったんや…私のせいやない…
・・・モデルにした選手に失礼だとは思わないんですかね?たとえ選手がOKを出していても、こんな風にぞんざいに扱われるのは私はとても嫌です。女だったら不快に思われても、男のお色気シーンだったら誰でも喜ぶと思ってるのかな?
主人公だって見た目の印象は違えど、引退した町田選手の経歴をかなりコピーしてますよね?
名前がタツキ→カツキだし、あこがれの選手が振り付けしたり、GPF最下位だったり、全日本の成績だったり。


作者が選手の名前を出してモデルとして公言してるのに、本当にこの作品は、現実の選手と1ミリも関係ないと言い切れるんですか。
キャラクターと選手が完全にイコールで結ばれるわけではないけど、これじゃまるで公式で同人やってるみたいじゃない?実在のフィギュアスケート選手をキャラクター化して消費していいんだろうか。
あとイタリア人キャラの「イタリア男のイメージを覆す硬派な童貞」っていう設定もどうなんですかねこれは。
こういう偏見ってイタリア人に失礼なんじゃないですかね。こういう細かい部分も如何なものかと思うんですよ。
童貞かどうかってそんなに大事なことなんでしょうか?アセクシャルノンセクシャルである可能性や、その人の思想や信仰については考えないのですか。


こういうことを言うと必ず「見てから文句言え」と言う人がいるんだけど、見たところで「嫌なら見るな」と言われるのは分かりきったことだし、自分からしたら負の要素が詰まったものをわざわざ見なければならない理由がわからない。
視聴を強制してくる人も居るんですけど、ゲロの中に顔突っ込まされそうになってる気分なんですよ、こっちとしては。視聴しない自由は存在しないんですか。
私は視聴しない権利があると思っています。だから見ない上での批判だけど、そのへんは許してほしいです。


別に私は世の中がBLまみれになっても全然大丈夫なタイプだ。BL的な表現をやるなという話ではないし、ゲイフォビアでもない。
でも、やるなら三次元を絡めずに完全に二次元でやって欲しいし、三次元を引用にするにしても性的な描写は入れないで欲しいし、三次元の人間を二次元のオマケにつけるようなマネはやめて欲しい。私は三次元の人間のほうが大切なので。
私も実在選手をかなりネタっぽい扱いはするし、過去に(今も?)結構やらかしてると思うけど、今はオープンな場ではネタツイートは控えている。
線引きが難しいけど、少なくとも三次元の腐ネタは公の場でやるものではないだろう。身内でひっそりやるものなんじゃなかろうか。現実の人と関係ない物には見えないから不快なんですよ。


ユーリは、三次元の腐ネタ(エロ表現込み)を公の場でやらかしてるように見えてしまうから気持ち悪いんです。
腐女子の所属してる同人サークルの他の人が「今度出す本に三次元の選手の実写のオマケつけますけど誰なら買いますかー?」とアンケートを取って顰蹙を買ったあと、
選手の名前を伏せ字か呼び変えをして鍵なしでエロネタやってる腐女子が、自らのネタを【拡散希望】とつけてアニメオタクに見せに行っててる感じです。
これを普通の腐女子がやったらめちゃくちゃ叩かれると思うんですけど、今はガバガバだからそういうマナーみたいなものは無いのかな。
実在選手の特典が付いたらどうする?と煽り、選手をモノ扱いして買うか買わないかの格付けをさせ、実在選手がモデルのキャラクターで性的な表現をしたり、性指向を自分好みに創作しているから私は不快なんですよ。
二次元の二次創作ならある程度気をつけてれば好きにやっていいと思うけど、これは三次元がモデルになっているので。ゲイじゃないかもしれない人を勝手にゲイとして扱ってもいいんでしょうか。


そして、これらのことを有名な作家がやっているというのが、「選手をネタ扱いしてもいい」と思っている人たちにお墨付きを与えてしまいそうで嫌なんです。
久保ミツロウ先生が前々からTwitterなどで投下していたスケートネタはスケオタにはウケていたけど、私は不快なものもありました。
町田選手の脇毛を食べたいだとか、そういうツイートをしていたこともあったし。
こういうラベリングはしたくないんですが、アニメから入ってきたようなタイプの人の絵からは「この選手ならバカにしてもいい」みたいな雰囲気が感じられて不快なものが多かった。「贔屓選手は頭がいいけど羽生は脳筋バカ」みたいな描写を見るたびに何度殴りたくなったことか。
上手く言えないが久保先生にもそれを感じていたし、漫画家だから大目に見て貰ってるだけだよなーと思っていました。
ユーリもそういう過剰な実在人物のネタ化の一つだと思う。もう本当に、そういうのやめてほしい。真面目に作られていたとしても、そういう雰囲気があるだけで見る気をなくしてしまう。


スケアメ放送後のあの「試合で宣伝して欲しい」みたいなツイートも嫌でした。三次元の放送まで私物化しないで欲しいです。
試合で演技してる選手はあなたのものじゃないし、性的な目線で描かれている深夜アニメの宣伝を非オタクの人もし視聴しているであろう番組でするのはどうかと思います。
こうして作者まで積極的に三次元に関わろうとしてるのに、三次元に一切関係ありません!っていうのはさすがに無理があるんじゃないかと思います。
CoRでは本当に地上波の放送でユーリの宣伝していたそうでがっかりしました。
テレビ朝日さんには煽りVの多さや生放送しないことなど、今までも放送の改善要望が何度も何度も行っていると思うのですが全く改善される気配がないですし、結局のところフィギュアスケートをただの商品としてしか見てないのだなと思いました。
もう、テレビ朝日の放送に期待するのはやめます。CS契約もしていますが、そちらでテロップが入らないことを祈ります。


ユーリにかぎらず、最近のオタクは「性癖おっぴろげ~の同人誌おっぴろげ~のみたいなノリこそオタク!俺達の常識が世間の常識!」という感じなので、そういうノリについていけない自分はとてもつらい。私もオタクなんだけどな・・・(今日もポケモンの体験版やった、面白かった)
時々エロ目線のオタクの絵が公に出てくると叩かれるけど、ああいうのは叩かれて当然なんだよね。何故住み分けしようと思えないんだろうね。お前が性器丸出しで外に出て来るから叩かれるんだっつーの。
いい加減こういうオタク界の流れは終わって欲しい。昔はもっとまともだったと思うんだけどな。昔からまともじゃなかったのが表面化しただけかもしれないけど、最近はいくらなんでも過激すぎるでしょ。どうしてこうなった。



【お詫び】
Twitterにて感情にまかせて乱暴な素行を働いてしまい申し訳ありませんでした。
自分の中に元からある一部のアニメオタクへの嫌悪感と、当方と当記事の内容について女性蔑視とも取れるツイートを見てしまい、ついかっとなってしまいました。
「キモオタ」という表現についてですが、当記事本文にあるような節度のないオタクや、女性蔑視的なオタクに向けたものであり、アニメオタク全体やその他のオタク全体を指すものではありません。
スクリーンショットの載せ方もまずかったと思います。 こちらに関しても挑発的なことをしてしまいすみませんでした。
また、私自身も自分のことを許されざるオタクだと思っていますし、オタク的な趣味嗜好そのものを見下すつもりで言ったわけではありませんが、誤解を招く行動・表現をしてしまい申し訳ありませんでした。
私の行動によりスケートファンの印象を悪くしてしまったかもしれませんが、他のみなさんはもっとまともで穏やかな方なので、どうか誤解なさらないようお願いします。私が駄目な人なだけです。


繰り返しになりますがBL的な表現や性的な表現をするなというわけではありません。やるなら三次元の選手とは切り離して欲しかったというだけです。


ユーリの放送を止めたいというわけでもないです。早く終わんないかなあとは思ってますけど。
日本におけるオタク的な表現っていつの間にか暴力的になっていたんだなあという感じですね。


また、現在この記事と一連のオタク批判について、とある方にしつこく嫌がらせをされています。
当アカウントで上げていた画像を転載したり、ミツロウ先生に直リプで当ブログを教えたりしているようです。鍵をかけたのもこの方が異様だからです。
また、アクセス解析を見たところ、某掲示板の全く関連性のないスレッドからのアクセスがありました。もしかしたらスパム的にリンクを貼っているのかもしれません。
スケートシーズンなのでそちらに集中したいこともあり、コメントやDMへの返信が滞ってしまっていてすみません。
この記事で言っている節度のないオタクや節度のない表現物への批判自体はそこまで的外れではないと思ってますし、本当に何とかならないかなあと思っているので、記事を取り下げる気は今のところありません。
もし不審なアカウント等を見つけましたらお知らせしていただけると助かります。




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(加筆修正するかもしれない)
10/23 22:55 特典としてつくものがフィギュアかどうかあやふやだったので、そのへん修正しました。(映像とフィギュア、両方ともあったっけ?)
23:43 三話のこととかも少し追記。
10/24 6:47 スケアメ放送後のこととかちょっと足した。
14:14 ユリオについてなど追加
10/25 11:11 細々追加
10/26 17:18 追記
10/28 13:30 諸々現状のことについてなど
11/2 00:03 ちょっと表記など変更
1/19 自分の身に起きたこととか、色々まとめて書きました
http://kurage27.hatenablog.com/entry/2017/01/19/232720


イカルスが幾人も来ては落っこちる

Hope&Legacyは、色々ごちゃごちゃ考えてた私バカだなあと思うくらい素晴らしくて、涙が出そうだった。
いままでプログラムの初披露のときは「すげー!」とか、「こうきたか!」みたいな、単純な驚きや新鮮さに興奮していたが、H&Lは柔らかさと美しさと、優しさのようなものに感動してしまった。
そして4Loの認定(おめでとう)と、「そうじゃなきゃ羽生結弦じゃない」の発言。改めてなんか、すげえなと思った。

そうじゃなきゃ羽生結弦じゃない。
この時のインタビューが椅子に座って行われたものらしく、上の方を向いて話していたのも、その発言の恐ろしさと、どこか自分自身を突き放しているような感じを後押ししているように見えた。
羽生結弦にとって「羽生結弦」とは何なんだろう。昔から人からどう見られるか・どう見せたいかを気にしているタイプだったが。おそらく高い目標があり、そこには羽生結弦の思い描く理想の「羽生結弦」がいるのだろう。
しかし、一つの目標に到達し、目標に到達するたびに新たな目標に到達し続けれる人は滅多にいない。皆、途中で落っこちていく。延々と目標に手をかけ続けれる人はそうそういない。だが、羽生結弦は今のところ、その目標をクリアし続けている。私はそれがなんだか恐ろしい。この人、このまま死んでしまうんじゃないか?と思う時もある。

私の好きな梶井基次郎の短編に「Kの昇天」というものがある。
月と影に魅入られた青年が、自分の影の中に自身の幻を見いだし、幻の中に引き込まれ、魂が月に登っていくという話だ。
私は羽生結弦の肉体が精神に追いついてないというか、精神がひたすら肉体を引き回しているような状態を見るたびにこの短編を思い出す。
あまりにも美しく透明感が高すぎるため、よく「月に帰ってしまいそう」と言われるが、私はKくんのように、いつか精神が肉体を離れて遥か高くの月に到達してしまうのでは、と思っている。
それくらい彼の肉体の実体感は希薄だ。あんなに存在感があるのに、どこか無機質ですらある。もちろん、怪我したり体調崩したりするから、無機質などではないのだが、まるで肉体にスペアがあるかのような振る舞いをしている。
肉体の感覚が鋭利な割には痛覚が希薄そうな感じとか、きみのボディーは一個しかないんだぞと叱りつけたいが、それでも彼は進もうとしていくのだろう。

理想という月に到達するために、今まで一体どれだけの人が落っこちてきたのか。
羽生結弦は「スポーツは残酷」であり「努力は嘘をつく」とも言う。その言葉はきっと自分自身のことだけでなく、墜落していった他者を見てきたからこそ産み出された言葉だろう。
もしかしたら、墜落していった理想像になれなかった者達がフィルターのようなものの中にたまって、そのたまった液体から絞り出された一滴が今の羽生結弦なのかもしれない。そう思わせるほどの純度と強度が、羽生結弦にはある。
そういう凝縮された何かに精神を動かされ、羽生結弦は「羽生結弦」という高い目標を掲げているんじゃないだろうか。もしかしたら、それが使命と思っているかもしれない。

再度梶井基次郎の詩に例えてしまうと、彼は「桜の樹の下には」の「桜」なのだ。
彼の美しさ・強さの下には、墜落していった他者の屍体や、あるいは彼自身の表には出ない苦悩や、精神に置いてけぼりにされた肉体の一部なんかが埋まっている。
そして、それらを吸い上げて美しく咲いている。そういったグロテスクな側面があるからこそ、羽生結弦は美しいんじゃないだろうか。

遅かれ早かれいずれ彼は月に行ってしまう。
どうかそれまで肉体が保ちますように。そして、精神が肉体を離れすぎませんように。

"羽生結弦と震災"のこれから

24時間テレビでのホワイトレジェンドがあまりにも美しく、美しすぎるがゆえに、今まで色々と考えてきた物事がぶわーっと溢れ出てきたので、整理するためにも書かせてほしい。
(最近心身共に疲れ気味なのでおかしな文章になってるかもしれない。ごめんなさい)

羽生結弦はいつまで震災について関わり続けるのだろう。
関わるなと言うつもりも、背負ってくれというつもりも無いので、そこは勘違いしないで欲しいんだけど、間違いなくこれからがキツい。これからどんどん震災のことが見向きもされなくなってくと思う。

五輪では震災の復興をアピールしたいらしいけど、あと4年、綺麗さっぱり状況が良くなるだろうか。たぶんこれからもっと支援の手が行かなくなる。今よりももっと目が向かなくなるし、見えにくくなる。
まだそんなこと言ってんのか、祭りが不謹慎だとでもいうのか、と言ってくる人もいるかもしれない。
4年後、現役やってるかどうしてるかわからないけど、そういう雰囲気の中で伝え続けるのは、とてもしんどいんじゃないかと思う。今ですら「被災地は金貰っててずるい」みたいなことを言われているのに。

原発の影響も、地球が滅びてるんじゃないかってくらいの年月のあいだ残るわけですよ。入れない地域もずっと残る。
表向き綺麗になっても、そこに生きる人間の心はそうでもないし、生活を奪われた人も残る。被害や間違いを教訓としておくにしても、これから長い年月付き合わなきゃならん問題なわけで。

震災に関心を持たせることをライフワークにしてくのかな?って思ったりするけどさ、それはそれですごく辛いことだよね。とても孤独ですよ。
だって日本のアスリート全体で見ても、現役選手で羽生結弦みたいなことやってる人少ないもん。
もう震災のこと、誰も言わんよ。NHKでちょこちょこミニ番組があるのと、スマスマで募金集めてるくらいだったけど、スマスマなくなるしな。
震災に関わってる人って「あー!やってらんね!」ってなる事のほうが多いんじゃないかな。続けるのもやめるのも、つらいよな。
だけど、他にいないからこそ、羽生結弦にはやってほしい、続けて欲しいって思ってしまうんだよね。
こういうこと言うの、本当に願望の押しつけでしかなくて嫌なんだけどさ。
2年前の24時間テレビのとき、千葉や茨城が観覧募集からハブられたので(Twitterにも書いてたけど)手紙に「千葉も茨城も被害あったよ」って書いたら、その年のアイスショーで千葉や茨城についても触れてくれるような気遣いをしてくれた人だからさ、期待してしまう部分があるんだよね。

例えばもし、万が一、お偉いさんがたの方針通りに「もう復興しましたよ」みたいな顔して震災のしの字もなく東京五輪エンジョイして、ネトウヨサークルの姫みたいになってたら、自分はかなり嫌だ。聖子が押しつけてきそうだけど、見たくない。
ただの願望の押しつけと言われたらそれまでなんだけど、あるときを境に震災についてコメントしなくなったら「えーっ」て思っちゃうかな、自分は。
こういう活動は常に「正しさ」みたいなものが求められるわけで、変な出方をしたら相当な反感を喰らいかねないし、実は結構リスキーなんですよね。

ハンヤンとの件あたりからネトウヨにたかられつつあるので、そのへんも心配してるんですけど、こういう心配ごとをTwitterでボヤいても誰からもリアクションないから、みんなどうでも良いと思ってるのかも知れない。
実際、こんなこと言ってもしょーもないんだけどね。どっちに転んでも辛さがありそうだから。
そして自分は結局見てることしかできないし、募金くらいしかできないから。
考えまとめるとか言いつつまとまってないけど、震災については本当に、これからが問題だと思う。

(コメント返信しそびれること多々ですが、ちゃんと読んではいるので、Twitterでは書けないけど~って人がいれば匿名でも意見を書いてくれたらうれしいです。)

羽生結弦という生き方は、大変な生き方だ。
でも、神様に愛されるタイプの人だと思ってるから、無責任な言い方だけど、幸せになってほしいと思っています。

まあそんなことより自分のことどうにかしろって感じなんだけどな。
とりあえず明日はここ最近の考え事は忘れて新横浜に行ってジュンファンくん見てくる。

羽生結弦はアイドルだよね

一部でミッツさんが羽生をアイドル扱いしてるコラムが批判されてるぽいのですが(「羽生結弦にしゃぶりついて」ミッツ・マングローブが知る“ウマ味” 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版)、私も羽生結弦はアイドルだと思う。

え?アスリートだって?本人もそう言ってるって?うんわかる。でもなあ、そういう優等生っぽい100点満点の意見はな、飽きちまったんだ・・・。

もちろんエロい目線はあまり表に出すべきものではないが、「アイドル」という言葉に反感を抱く人々はおそらく秋元康的なアイドルをイメージしてるんじゃないかと思う。これは私の勝手な想像でしかないが、ミッツさんの言う「アイドル」はおそらく80年代の、今とは違うアイドル像なんじゃないかな。私はぜんぜんその世代じゃないけど、80年代頃のアイドルっぽい感じで羽生結弦を見ているなら、なんとなく理解できる。会いにいけるアイドルじゃなくて「会いに行けないアイドル」だよね。

もちろん本人がそういう見られ方を嫌がっているのは承知の上ですし、本当に申し訳ないと思うんだけど、アイドルっていうのは「なっちゃう」ものでもあると思うので、私は彼のことをある種のアイドルだと思ってるんですよ。

 

アイドルの定義って言っても色々あると思うので、とりあえずwikiでアイドルの項目を見てみる。

アイドル - Wikipedia

> アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」「人気者」を意味する英語に由来し[1]、文化に応じて様々に定義される語である。

> 日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す[2]。キャラクター性を全面に打ち出し、歌・演技・お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必用はなく親しみやすい存在であることが多い[2]。一方で、はっきりと目には見えない「華」や「人間的魅力」が強く求められるため、一流のアイドルは手が届きそうで届かない存在となる[2]。

・・・これめっちゃ当てはまりません?

そして、「妹の力」というのがあるらしい。同じくwikiのアイドルの項より。

> その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない『感動しやすい習性』『精緻なる感受性』をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民族学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[14]。

「巫女」という言葉を使うと倒錯的な感じがあるけど、そういう風に見えるのもありますよね。個人的には彼はアニミズム的な表現が得意だと思ってるんですけども。(レクイエムとか、ホワイトレジェンドとか、花は咲くとか、そういう祈りっぽい表現。これらは広義では女性的な表現になるのかもしれませんね。)生きる力とか幸福への道も、めっちゃ伝えてると思います。

「偶像」とか「崇拝される」という意味でもそうかもしれない。実力もありますし、華もあるし、自分のビジョンを持ってて、それを実現させていく感じが「本物」っぽくて、信ずるに価する感じがある。そしてその「アスリートなので」というストイックな態度と、今この瞬間を見てないと次の瞬間に死んでるかもしれない、最終回の再放送は無い(※ゆらゆら帝国)感じが、アイドルっぽさを強化しているようにも思えます。

あとは本人の振る舞いも、どう見られるか常に意識してそうなところもアイドルっぽい。このことについて友人の母は「なんかニセモノっぽいんだよねぇ~性格悪そう~」と言ってたんですが、 こういう風に見てる人がいるのも上手く言えないけどなんかアイドルっぽいなあと思ってしまった。普通のアスリートはまずこういう風に言われない気がするんですよね。

人気があり、本人にとてつもない魅力がある以上、アイドル的に見られたり、アイドル的に扱われてしまうのは仕方がないことだと思いますね。

 

アイドルにさせちゃってるし、本人もそれを望んでないけど、まぎれもなく羽生結弦はある種のアイドルだと思う。これは羽生結弦や、羽生結弦自身の「あくまでもアスリートである」という意思を汲んだ人々が動いたところでどうにかなるものではない。もうなっちゃってるんだから、もしそういう扱いをさせたくないのなら、三千世界の彼方まで全ての生き物の視覚や聴覚を奪ってくるしかないと思う。残酷なことを言っているかもしれないけど、アイドル視することを止めることは出来ないと思うんですよ。オリンポスの神々たち(Mount Olympus seemingly next stop for Hanyu | icenetwork.com: Your home for figure skating and speed skating.)もアイドル視しちゃってるかもしれないレベルでどうにもならないと思うよ。

そもそも本人以外の人の言う「アイドル目線で見るな」みたいな感覚が、アイドル的なものをバカにしていそうな気がするので私は嫌ですね。アイドルってアスリートより下に見ていいもんなのかな?私にはそうは思えないんですよ。ビートルズだってアイドル売りされてたし。出待ちしたり、変なうちわ持って騒いだりしなければ良いと思うんですけどね。あと「あなたのことをエロい目で見てます」みたいなことも、本人や公衆の面前で言わなければ別に良いんじゃないですかね・・・。

 

私はこのwikiで紹介されてた文献がとっても気になってしまったし、羽生結弦のアイドル感はもしかしたらそういう巫女っぽいところからも来てるのかな~と思えたので自分の中で何かしらの理解が進んだ気がします。辻褄がちょっとだけ合ったというか。

アイドルとしての羽生結弦、もっと掘り下げられる気がします。アスリートとしての側面だけを掘り下げても、自分の中では何も見えてこないんですよ。それだけじゃ存在が見えてこない。もっと多角的に見れると思うんですよ。いろいろ本とか読んで調べてみたいですが、時間が取れなさそうなのが辛いところですね。私が大学生だったらこのテーマでこねくり回した論文書いちゃうなあ。書きたくなった大学生の方、ぜひお願いします。

 

あとゆらゆら帝国の「無い!」でMAD作ってくれる人も募集してます・・・絶対合うと思います!!

www.youtube.com

政治的に正しくない私

今回、私がヘイトスピーチの問題よりも羽生へのことを優先したことについて、Twitterで批判されている。

私は困っている人がいたらまずその人を気遣いたいが、そんなことよりも、困らせたと思しき人に罵声を浴びせる人をまずどうにかしないとダメらしい。
困っている人に対して「こんなことをされたと感じたなら、きっと傷付いたろうな」と思うのも、勝手な想像だからダメ。
「適切な言葉が見つからなくて申し訳ない」と前に書いた上で「セカンドレイプ的」と書いても、名前といっしょに残るからダメ。
検証動画も貼ってはダメ。ヘイト動画と並んでいるから悪い。

何万フィートも上空の飛行機の中に羽生がいる、だから気持ちを想像するのはおこがましいという人もいた。たしかにその通りだ。
だが、地上を見下ろしたときにファンが「ほらーお前があんなこと言うからー」「なんで怒っちゃったのー?」と言ってたらどう感じるだろう。
私が前回のブログを書いたときは確かにそういうムードがあった。だからああいうことを書いた。昔自分が受けたイジメを思い出したし、そんなのクソ食らえだと思ったからだ。
とにかくまず先に困っている人の気持ちを考え、味方になろうとする事はそんなにおかしいことだろうか?

でも多分、ポリティカル・コレクトネス的には正しくないのだろう。
ましてや自分は「ヘイトスピーチに論点をずらした」などと言ってしまったのだから、そりゃもう、滅茶苦茶正しくないだろうし、人間の屑だろう。
今回のでさらに屑呼ばわりされた所で元々評価は底辺なんだし、底辺で屑呼ばわりされることを受け入れて生きていくしかないだろう。もうこればっかりは仕方がない。
自分の言った「ヘイトスピーチに論点をずらした」というのは、それくらい酷いことだと思う。
でも、私がそう感じてしまったのも事実なのだが。

謝罪の言葉を公の場に引き出したかったのは自分の勝手なのかもしれない。
当事者同士が和解した後も「謝ってない」だのなんだの外野同士でやり合ったのは、完全にダメだったと思う。
この辺は自分の反省点だし、無かったことにしないためにもツイートはそのままにしておくことにした。
このことについては、自分が批判していた悪質な人達に近いことをやってしまったなと思う。映画の例えも不適切だったと思う。
そのあたりのことは本当に反省しないといけない。不快にさせてしまった方々、ごめんなさい。

だけど、今回のでわかったことがある。
ポリティカル・コレクトネスだけでは人は救えないということだ。
もし誰かにいじめられたと感じて訴えたとき、もし側で誰かがヘイトスピーチをしたら、そっちの解決が優先されて、いじめられたと感じたことについてはスルーされるのかな?と思ってしまった。
ヘイトスピーチの解決が優先され、当人の訴えが「気のせいじゃない?」「なんでそんな風に訴えたの?」みたいなノリでスルーされ続けたら、しんどくないか。
諸悪の根元のように言われているあの検証動画がなかったら、未だにそういう事を言ってる人もいたと思う。

でもこれは単なる私の想像であるから、こんなことを言うのは悪いことなのかもしれない。
上空からこちらは見えないんだから、そんな気持ちは無視して、上空からこちらを見るかもしれないという可能性も無視して、ヘイトスピーチだけを叩けば良かったのかもしれない。

でもね、ぜんぜんそんなのわかんないよ。
バカだからかな。

「ブロックリスト作ってる人がこれ?!」みたいなリアクションは「はぁー品行方正でお正しい方に注意されてしまったー(笑)お正しい人は厳しいー(笑)」という感じだったが、「誰かが傷つけられていると感じる時は自分が傷つけられている」みたいな、謎の哀れみを向けられたのはかなりキツかった。
このへんのこともいじめのことを思い出しましたね。哀れみなんかいらねーっつうの。
自業自得だし、もうお酒を飲むしかない。同情するなら金をくれ。

この辺のことはしばらく思い出しては辛くなるだろうけど、ほぼ自分が巻いた種だから仕方がない。
ブチ切れることも絶対あると思うけど、しっかり向き合っていきたいと思います。
あー今日も悲しいくらいハイボールがうまい。

羽生結弦の味方は…沢山いたよ!

【4/6追記】(4/8やや加筆)記事にもなっているとおり、羽生選手から和解したようです。

http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ4426LFJ44UTQP006.html

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/04/05/kiji/K20160405012345350.html


羽生結弦、偉いなあ!器が大きいな!ビッグな人間だな!と思いました。あなたは立派です。ファンになってよかったです!

また、田村先生のブログにも写真があがりました。

http://www.jsports.co.jp/skate/yamato/m/fs1516/post-197/


田村先生の狙ってない感じがとてもいいと思います。最高です。悪く言えば空気読めてないのかもしれませんが、同じツーショット(ヤマト先生よりも先に出されたデニスのインスタ→https://www.instagram.com/p/BDyLVvnO47B/)のはずなのに、この安心感の違いは一体・・・?!と思いました。なんででしょうね。

とにかく、ありがとうございました!最高だぜヤマト先生!と思いました。かっこいいです。


バンケットでもみんなと楽しそうでしたし、ハビも相変わらず優しそうですし、ANAさんの広告は泣けるし、味方はいっぱいいそうで、安心しました。コメントも沢山ありがとうございます。返信追いつかなくてすみません。

あと、記事のタイトルもいつまでもそのままというのも変なので、変えてみました。


そして今ブログを読み返すと、ヘイトスピーチに問題をすり替えたというのは言い過ぎだったかもしれません。

デニスも必死だったのかもしれないです し。

でもやっぱり、気になる部分はありますし、元々の問題の解決が優先されるべきだったのでは?という気持ちは変わりません。


キヤノンさんのインタビューでも思ってたより元気そうでしたし、とりあえずこれで落ち着きそうですかね?

私は本人の気持ちを汲みたいと思います。

まだアンチがゴチャゴチャやってますし、気持ちが落ち着かない人もいるようですが、我々が色々行動しすぎると逆に迷惑になるのではないでしょうか。(自分も少し反省)

スケ連もそこまで馬鹿じゃないと思うし、ANAさんも守ってくれるはずです。クリケットのみなさんも。


記事や動画紹介はこのままにしておくとレイシストに利用されるとの指摘がありましたが、資料的、記録的な意味でこのままにしておくことにします。ご理解ください。


また、コメント欄でご指摘の記事中の性的な表現については削除させていただきました。

ご指摘ありがとうございました。


以下は更新前の内容になりますが、何度も書いているとおりレイシストネトウヨの味方になるつもりはないです。

そのあたりはどうか勘違いしないでください。

また、レイシスト批判を優先するあまり羽生選手の発言を蔑ろにしたような方々に同調する気もありません。

それから、繰り返しになりますが、更新前の以下の内容はバンケットでの写真や、ヤマト先生のブログが出る前までの気持ちなので、そのあたりのズレはご了承ください。

(あと、これを更新するときに書体が崩れてしまいましたが、内容は訂正個所以外同じです。何故崩れたし・・・!PCからCSS直さないとダメみたいですね。読みにくくなってすみません。)


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(旧タイトル「羽生結弦の味方はいるのか?」)


デニスのインスタにコメントが出た。

前日、時事に非を認めるコメントが来ていたので、よかった、故意じゃなかった。これで落ち着く、と、少し安心したのだが、それを見事にぶち壊すコメントだった。

(テン、不注意と釈明=世界フィギュア http://www.jiji.com/sp/article?k=2016040200155


自分のルーツが韓国にあることをSNSで攻撃された。

自分が謝るのはスタッフに対して・・・。

https://www.instagram.com/p/BDsUO1oO43G/


これじゃあまるで羽生結弦側の人がレイシストだと言っているみたいだし、練習中に自分が誤解を招きかねない行動をしたことについては、何の非もないと言っているように思える。

ここで、羽生結弦本人とは関係無いヘイトスピーチのことを持ち出してきたのは、はっきり言ってただの論点ずらしだし、ものすごく狡い手段を取ったと思う。

問題をヘイトスピーチの方向にずらせば、羽生結弦が感じた問題の行動から目線を反らせる。そして実際、それに成功しているように見える。まともな人ほどヘイトスピーチには反発するだろうから。


だが、ヘイトスピーチを発しているのは外野の人間であり、デニス・テン個人と羽生結弦個人の間に起きた問題には、何ら関係ないはず。

なのに、そちらに論点を持って行こうとするのは、少し狡いんじゃないだろうか。「私は差別されています!」と言えばどんな問題も無かったことになるわけではない。


羽生が抗議しなければデニスがヘイトスピーチに晒されることもなかったとか、そういうのもおかしい。

今回、羽生結弦が大袈裟なのでは?とか、ただの勘違いなんじゃないかとか、気にしすぎなんじゃないかとか、そういう意見が、ただのスケートファンやアンチからだけではなく、羽生ファンからも出てきていた。私はこれはかなりショックだった。


でも、そうなってしまった原因の一つとして、今回のボストンの会場が動画撮影禁止だったこと、サブリンクは一般人は入れなかったことなどもあると思う。

・・・だが、動画を撮ってしまう人は撮ってしまう・・・なのでこのさい、羽生が勘違いしてもおかしくないんじゃないか?ということを伝えるために、メインリンクで撮られた動画を紹介したいと思う。


問題があったのは30日のサブリンクだが、これは29日のメインリンク。報道によると前日も問題があったようで、その時にデニスとは軽く話したようだ。

この動画がその練習の時のものかはわからないが、確かに「おや?」と感じる部分があるのだ。

http://v.youku.com/v_show/id_XMTUxNjgzNTYyMA==.html

まず1:20頃、スピンに入ろうとする軌道の前でデニスが入ってくる。

次に2:40頃、ステップシークエンスの終盤でデニスが割り込んでくる。このときの羽生は苛立っているのか、氷を蹴っている。


また、フジ系の「グッデイ!」が、羽生の軌道上でスピンをするデニスの様子を放送しているが、この映像がいつのものなのかはわからない。

この瞬間は、中国のファンがGIFでまとめてくれている。

http://imgur.com/a/pWcJt

(この放送の動画もアップされているが、限定公開かもしれないのでリンクするのはやめておきます)


そして、これを書いている途中にも有志がこれらの動画をまとめて上げてくれていたようだ。

https://youtu.be/jWH2_Y0tJRo

羽生が指摘していたという2015年上海ワールドの6分間練習の時の動画も入っている。

1:50頃のものは、元の動画はわからないが28日の練習のようだ。フェンスのようなものがあるし、サブリンクかもしれない。(←メインリンクのようです、すみません。)羽生の曲かけ時ではなさそうだが、かなりヒヤリとするシーンである。


これだけ羽生の近くにデニスがやってくる場面が何度もあれば、問題の起きたプラクティスリンクの練習でも、何か危ないと感じることがあったんじゃないかと疑ってしまう。

こういうことを言うと、現場を見てないんだから何も言うな!とか、対立煽るつもりか!とか、そういうことを言われるんだけど、これらの動画を見てもそれでもまだ羽生側に非があったような事を言ったり、羽生側の粗を探すようなことをするのはかなり酷いと思う。


適切な言葉が見つからなくて申し訳ないが、セカンドレイプ的なものを感じてしまう。

(ここ数日、過去いじめを受けた自分にとってもきつい言葉がたくさんあり、私のメンタルはズタボロである。)


そういう方達は往々にして「私は羽生のことを冷静に見ている」ようなことを言うのだが、それならデニスのことも冷静に見て欲しい。

羽生ファンは過去に色々あったから「選手批判をしたくない」という気持ちがあることはわかる。でも、それに囚われすぎているんじゃないかという気がする。


私は今回、デニスは「そう感じさせるような動きをしてしまったならごめん」と、ただそれだけ言えば良かったと思っている。

デニスがわざとやったとは思ってないし、思いたくもない。でもこういうのは結局のところ受け取る側の問題なんだから、被害を受けたと思わせてしまったら相手に謝罪すべきだったと思う。

こちらが無意識で足を踏んでしまったのに「この程度ならとくに気にしないだろう」と放っておいたら、相手は嫌な気持ちになることもあるのではないだろうか。


それから、キャロルコーチがああいうコメントを出したことで、スケート関係者の中でも羽生に辛く当たる人が出てくるんじゃないかとか、そういうことも気になってしまった。

https://twitter.com/Iron_Klaus/status/715782449398226946

http://www.daily.co.jp/general/figure_skating/2016/04/02/0008950519.shtml

キャロルコーチは実績もあり、スケート界での影響力もかなりある人だと思う。

だから周りの人が彼の意見に引きずられて「やっぱり羽生がおかしいんだな」という雰囲気ができてしまわないか、とても不安になる。


いくら心が強い人間だからといって、何をしたっていいわけではないし、何をしても耐えれるわけではない。

王者たるものこんなことで落ち込んでどうする!これは試練だ!みたいなことを言う人も居たが、そんなのはコーチでも何でもない他人が言ったらただのパワハラみたいなもんじゃないか。


 もしかしたら、ものすごく自己嫌悪しているかもしれないし、色んな人から責められているかもしれないが、どうか沢山の人が彼の味方になり、彼を励まし、慰めてくれることを願っている。


最後に、デニスは韓国系だから、などというヘイトスピーチに私は乗らない。そんなのはクソッタレのすることだ。

私はヘイトスピーチを受けている人や、それに抗議する人たちが、どれだけ大変な思いをしているか知っている(ネットを通じてしか知らないが)。

そういう人たちに辛い思いをさせるようなことは絶対にしないし、レイシストには屈しない。


このヘイトスピーチについて付け加えさせてもらうと、デニスを中傷しているのは、スケートファンでも羽生ファンでもない、ただのネトウヨが大半である。

スケートをかじっているネトウヨはほぼ100%アンチ羽生であり、デニスの味方だ。

これは説明すると長くなるので、フェアジャッジ、手相見、2012年の全日本の表彰式・・・など、このあたりのワードで検索していただくと何となく察しが付くと思う。

そしてこの辺の件があったからこそ、ヘイトスピーチを言う羽生ファンはTwitter上にはほとんどいないのでは、という気がする(もしくは反ヘイトスピーチ的な羽生ファンに場を追われたか)。

普通のネトウヨなら羽生を支持するだろうが、彼らは拗れているので、羽生のことは韓国系だと言ったり、金でスコアを買っていると言ったりしていたのだ。

なぜそういうことを言うのかというと・・・これはまあ、上記のワードで検索してみれば察しが付くはずなので、ここでは省かせてもらいます・・・。


今回のデニス側の対応で、私は確実にデニス側への不信感が自分の中に出来あがってしまった。

もちろん自分は羽生ファンなので、バイアスがかかっているだろう。


だけど、かつて自分がいじめられたと訴えているとき、さんざん自分のせいにされ、誰も味方になってくれなかった過去を思い出すと、とてもじゃないがデニスの肩を持つ気にはなれない。

味方になってくれると思っていた人が味方になってくれなかったときのダメージは、とてつもなく大きくて深い。

(そして、こういうことはわからない人にはとことんわからない)


今は辛いかもしれない。でも、今回のことを糧にし、また元気に滑って飛び回る羽生結弦を、私は待っている。

一ヶ月オフがあるそうなので、どうか自分を責めないで、ゆっくり休んで欲しい。あなたの味方になってくれる人は沢山いるはずだから。


自分の昔のことを思い出して、羽生ももし色んな人に責められていたらどうしよう、味方がいなかったらどうしよう、と酒を飲みながら泣いていたら、母が「見てる人はちゃんと見てるから大丈夫だよ」と言ってくれたので、少し落ち着いた。私もそうであることを願っている。

畳だらけの家で畳の縁を一切踏まずに落ち着いた生活を送れるのか

羽生結弦が殿様になったよー!でも公開された映像で畳の縁を踏んでいるよー!という件で、いろいろ騒がしい。

これを聞いて自分は、「畳の縁を踏んだからどうしたんだよ?」と思ったんですよ、ぶっちゃけ。

なんでかと言うと、自分は自分の家で畳の縁を無意識に踏みまくって暮らしているから。

うちは昔からある平屋で、7部屋中5部屋が和室だ。
寝るときは布団で畳の上で寝るし、布団はどういう形で敷いたとしても縁にかかるし、布団を畳むときもおそらく無意識に縁を踏んでいる。
タンスやテレビ台も畳の上に置かれており、縁を踏んでいる。テレビを見てゴロゴロするときも絶対に踏んでいると思う。踏まずに日常生活を送るのは不可能だと言っても良い。

そもそもこの「畳の縁を踏まない」という話は、縁に家紋がデザインされていたからだとか、昔は縁が脆かったからだとか、床下の忍者が隙間から刀をぶっ刺してくるからだとか、諸説あるようなのですが、はっきり言ってどれも馬鹿馬鹿しいと思っている。
茶道や、他人の家での振る舞いとして畳の縁を踏まないというのなら理解できるけど、自分の家で気を使いまくるような話ですかね?これ。

畳は江戸時代から庶民にも広まったそうなんですが、人間が家でやることなんて昔も今も大して変わらないと思うわけです。
寝そべったり、遊んだり、仕事したりしている間、常に90×180くらいの大きさの長方形に気を使って生きていけると思いますか?私はそんなの無理だと思うんですよ。
いくら縁が脆かろうが、家紋がデザインされてようが、そんなに気を使って生きていけるわけが無いです。
おたくのフローリングが全部畳になったところを想像してみてください。どう考えても無理でしょう?
無理じゃないと思うなら、床にテープ貼って試してみてください。
一週間は出来たとしても、それを何年も続けるのはまず無理だと思います。縁にこだわり続けて生きてたら発狂すると思いますよ。

だから別に、殿様が畳の縁を踏んづけてても変じゃないと思うんですよ。
リラックスしてる時ですら側近がわざわざ「殿!縁を踏んでおります!」なんて言ってたら、メンタルをやられると思います。
平民が来てたとしても立場は上ですし、そんなに気を使う必要は無いでしょう。むしろ畳の縁を気にし歩幅を変えられたら逆に小物っぽくて、様にならないのでは。
これが殿が将軍に会う場面なら話は変わってきそうですが、どう見ても将軍の屋敷って感じではないですよね。

で、この「畳の縁を踏まない」という作法は、いったいいつから始まって、どういう時に用いられる作法だったんですかね?
検索しても茶道が関係してるくらいしかわからず、ぼんやりとした話ばかり引っかかるのでいまいちです。
大名が将軍に会うときには畳の縁を踏まないように気をつけていたという話は出て来たのですが、一体いつから誰がどのようなときに用いていた作法なのか、さっぱりわかりませんでした。
そもそも時代劇は時代検証の人がだいたいついていて、問題があるようなら突っ込みが入ると思うんですが、「いかなる時も畳の縁を踏むべからず」というのは、ただの「ズブの素人が思い込んでるだけのオレ流江戸しぐさ」なんじゃないでしょうか?
日常生活において畳の上でどう過ごしていたのか、ちゃんとそういう資料を持ってきてからあれこれ言うべきなんじゃないですかね。

「自分の家であっても絶対に畳の縁を踏んではいけない」なんて、血の通ってない、畳の部屋生活してない人の発想だなあと、畳の部屋で生活している自分は思うのです。
(もちろん余所のお宅にお邪魔するときは気を付けてますのでご安心ください)
この謎のマナーについて全く疑問を抱いていない人は割と多そうなので、うっかり家族の誰かが無意識に畳の縁を踏んでしまったところを、それ見たことか!とギャーギャー喚き散らす神経質な人を想像してしまいました。すごく家庭内暴力っぽくないですか・・・。

というかこれを書いてる自分も歴史とか民俗学的なことはまったくわからないので、もしどなたか江戸時代の人は自宅でも絶対に畳の縁を踏まずに生活していたという話をご存知でしたら教えていただきたいです。
また、江戸時代の人の細かな生活のあれこれが紹介されている本などご存知でしたらよろしくお願いします。
もちろん「昔っからそう言われてるからそうなんだよ」とかそういうボヤケた話は抜きですよ?よろしくお願いします。