あおなじみ

日常生活。恨み節。性別捨てたい非国民。ネガティブ。

FaOIの前に書いておきたい!H&Lの表現について

世界選手権、ヘルシンキまで行ってきてから書こう書こうと思いつつちまちま書きためて延ばし延ばしになってたので、このタイミングで今更投下しときます。
Hope & Legacy(以下H&L)の表現がわかりにくい!という話はシーズン初めから出ていて、見る側にも馴染んでくるだろうと思いきや解らない人は最後まで解らない(あんなに感動的な世界選手権の演技でも)という感じだったので、自分なりに理由を考えてみました。
シロート中のシロートなので、荒い部分は適当に流して下さい。

フィギュアスケートの表現というのは、言葉を使えない分(歌詞が乗っかってる場合もありますけど)、いかに動きで表現するか、というプログラムが多いです。
なので、フィギュアスケートの表現自体がハイコンテクストといえばハイコンテクストなんですが、例えばロミオとジュリエットなんかは、もう曲を聴いただけでテーマがそれとわかりますよね。
そういうのが所謂王道なプログラムだと思うのですが、H&Lは編曲から作ってるので、そういうのがない。
本人からの明確な説明もなく、観客が何となく察するしかないので、かなりハイコンテクストな表現だと思うんですよね。

なのでH&Lで感動している人は「察している」ということになります。(あるいはシェイリーンのコメントなどから推察しているとか)
では何を察しているのかというと、超ざっくり言うと「宮崎駿的なもの」じゃないかなと。
H&Lはおそらく、制作までの過程の時点で、ほぼほぼ間違いなく、宮崎駿作品の影響下にあります。というか、宮崎駿作品を羽生結弦さんなりに咀嚼して作ったんでは?なんて勝手に思っております。
久石さんの曲自体はパラリンピックの曲ではありますが、自然をテーマにしていますし、久石さん特有の旋律によって観客側の脳裏には宮崎駿作品がちらつくと思うのです。
なので、宮崎駿作品に馴染みのある人はそこから自然のイメージを想起しやすいと思うのですが、それが無い人にとっては「何だこりゃ」になってしまうのではないかなと。

そして圧倒的な説明のなさ。「ああっこれ宮崎駿的なやつ…」という感覚がなく、さらに説明も無いときたら、わけのわからん巨大な抽象画の前に立っているような気分になるんじゃないかと思うんですよ。
細かい振り付けをよく見れば間違いなく惹かれるから!と言っても、繋ぎの流れが良いので、スーッと通り抜けていくだけの人もいると思うのです。
「なんすかこれ、ただの水じゃないですか」というところにめちゃくちゃ壮大なメッセージが潜んでいるんだけども、それに気付かず流してしまうという。
(でも気付かなくても仕方がないんですよ、あんまりにも滑らかだから・・・と私は思ってます。)

海外でも宮崎駿さんは有名ですが、不思議なことに、アジア圏外の観客もノスタルジックな気分にさせるらしいのです(紅の豚とか魔女宅あたりかな?)。
なので、海外の人にも受けているのは、そういう部分もあるのかなと。
あるいは言語が違う分、説明的なものを求めておらず、その分素直に表現が受け止められるんじゃないのかなーと思いました。

フィギュアスケートってもともとハイコンテクストな側面はあると思いますけど、羽生さんの場合それが顕著だと思うんですよ。
(表現力無いみたいに言われがちですけど、それはアナタの理解力が追っ付いてないだけなんだよと言いたい)
たとえば悲愴とか、レクイエムとか、白鳥シリーズなんかは裏に「震災」という文脈が潜んでるわけですが、ノッテ・ステラータは曲自体は完全にラブソングなわけで、その辺の事情を理解してない人はただの愛のプログラムと受け取ってしまうかもしれない。
実際羽生ファンの中でもあれをただのラブソングと受け止めた人もいるし、別の意味を持っていたり別の意味として受け止められれかねないものに意味を持たせて表現するのは、とても難しいことだと思います。ましてや対象が「自然」となってしまうと尚更難しいかなと。

あともう一つ、これは声を大にして言いたいのがジェンダー観ですね。男か女か、ついでに色恋沙汰や色気の表現しか理解できない人が多すぎる。
「色気がない」みたいな評価の仕方をする人を見ると、そういう表現しかこの世には存在しないとでも?と思ってしまう。
こういう理解しかできない人がめちゃくちゃ多い気がするので、だからこそ尚更、羽生結弦の表現は貴重なものになってくる。
あの性別のよくわからなさも混乱するだろうなと。そういうところが魅力なんですけど、なぜかファンの中にも「男性的な面しか認めねえよ」みたいな人がいるのが不思議ですよね。
みんなジェンダーに囚われすぎなんだよ~羽生結弦の表現はジェンダーに全然囚われてないぞ~

(ついでに言わせて貰うと、性自認は男か女か、だけじゃねえぞ!Xジェンダーやらなんやら、いろいろあるわけです。さらについでに、恋愛対象も男か女かに限らないわけで、もっと言わせて貰うと恋愛するしないもセックスするしないも人それぞれ色々あるので、オメーの恋愛観が正しいとは限らねえからな?と声を大にして言いたい。他人に「いろんな作品見ろ」と言う前に、頼むから自分が見てくれ~~~。)

この分析が逆に羽生さん批判してるみたいに受け取られたら悲しいんですけど、技術面からの分析はあっても表現面からのH&Lの分析を全く見かけなくて、「理解できない奴が悪い」みたいな雰囲気すらある感じだったので、自分なりに分析して書いておきました。

これはもう完全に賞賛です。H&Lみたいな表現は、これからもどんどんやってくれと言いたいです。
普通こういうハイコンテクストなものって美術の知識が無いとあえて作ろうと思わない気がするので、おそらくちゃんとした美術の教育を受けてないにも関わらず、ナチュラルに難しい表現手法をしてしまった羽生結弦ってスゲーなと思うのです。

H&Lはプログラムを変えようと思った時期もあったみたいですが、最後まで演じられて良かったですよね。
ワールドで「風の中にいる感覚」みたいなことを言ってたのが印象的でした。それだけ演技に入り込めていたということなんだろうなと。
風の中にいるとか水の中に入ってるとか、そのへんの演技後のコメントがめちゃくちゃスピリチュアルで悟ってんな~という感じで興味深かったです。
(そしてやっぱり、そういう見えないものに好かれてる人だなと思った)
出来れば今後もH&Lで終わらずに、自分でテーマを考え、性別の垣根を乗り越え、色恋沙汰のみの表現に囚われず、説明不足と言われようとも、ハイコンテクストなものを演じていって欲しいなと思います。
色々言われると思うけど、それは目指してるものが高いところにあるからだと思うので!応援してます。
と、いうわけで、FaOI各公演、楽だけ行ってきます。