あおなじみ

日常生活。恨み節。性別捨てたい非国民。ネガティブ。

好きな事を続けられる=恵まれているという事/アスリートの特権性

「被災地に勇気を与えられたんじゃないかと思います!」みたいなことを無根拠に発言するアスリートが昔から嫌いだった。
千葉に台風が来ていたとき、NHKラジオのニュースでラグビー日本代表が「被災地に元気を与えられたと思います!」と言っていた。
私はそんなことより災害の情報が欲しかった。
我が家は漆喰に穴が空いて廊下が水浸しになり、隣の家は下水が流れなくなり、朝までずっとボコボコという音と異臭がし、反対側の家は屋根に穴が空いていた。
基地局も停電したせいで電波もうまく入らず、LINEが数時間遅れで入ってきた。
そんな中、ラジオからそういう事を言われたので「なにを根拠にそう思ってるの?試合なんて、ここらで見てる奴なんていねえよ?」と思った。
本当にスポーツどころじゃなかった。
道の状況を把握していない人が水中に突っ込んでしまったので、その様子を見に行ったりもしたし、どんどん水嵩が増して家から出れなくなって、長靴を履いて停電したままの近所の店へ買い物に行った。水が少し引いてから、親戚の家に泊めてもらった。
親戚・友人関係で誰も死ななかったのだけが救いだったけど、2021年になっても未だブルーシートがかかっている家があるし、避難したまま家に帰れない人もいる。

スポーツは実際のところ、困窮した人に対して何の助けにもならない。誰がどんな綺麗ごとを並べようが、高尚な言葉で呪文を唱えようが、揺るぎようのない事実だ。
それを自覚しているか、自覚していないかで大きな差が生まれる。

私はこういう性格なので、今回の内村氏の発言もかなり引っかかった。
どちらかというとTwitterで話題になっているのは「五輪が無くなったら死ぬかも」という発言のほうだが、個人的には「できないじゃなくて、どうやったらできるかを皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしい」という発言のほうに引いてしまった。
https://www.news24.jp/articles/2021/01/23/09808737.html

気のせいかも知れないけど一部のアスリートにはこういう高慢な部分があると思う。
自分のパフォーマンスでどんな困窮状態の人でも励ませると思っている、自分の試合や競技はどんな事よりも尊いのだと思っている人たちが、少なからず居ると思っている。
今回の発言で、内村さんもこのタイプなんじゃないかと思ってしまった。

同じ東京五輪組でも、陸上の新谷さんや奥原さんがものすごく客観的にものを見れていたので差が酷かった。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2021012000289&g=spo
https://mainichi.jp/articles/20210116/k00/00m/050/025000c.amp?__twitter_impression=true

羽生ファンも内村さんに恩を感じているらしく、叩かれているというだけで脊椎反射で擁護している人が結構な割合で居るようだ。
(ファンですら勘違いしてそうで不安になったんですけど、中国杯ってそもそもドクターの診断で出場を判断したので強行出場じゃないんですが、わかっているのかな…)
推しが全日本の会見で言った事とは真逆の言動を擁護しているんだが、その辺は最早どうでもいいのだろうか。

擁護してる人たちが言うには「オリンピックに命を懸けてきたんだから出たいのは当たり前」なんだそうだ。
この理屈、心情的にはわかるけど冷静に考えるとものすごく奇妙だと思う。
何故アスリート"だけ"が「命がけ」とか「夢を叶える」やらの権利を守られなければならないんだろう?
アーティストや俳優たちも「命がけなんです!」って言えば公演をやらせてもらえた?
各種イベントも「出来ないなら死ぬかも」って言えば出来たの?
海外から人を呼んで行うイベントと、国内の人だけで人数制限して行うイベント、どっちが安全だと思います?
無観客にしても選手関係者だけで相当な人数が海外から入国してきますよ?
そもそも貴方達の言う「命がけ」って医療従事者や介護の仕事してる人の「命がけ」と同等ですか?
オリンピックって親の死に目に会えないことよりも大切なの?

この問いかけに「そうだよ」と言う人もいるかも知れない。
空中ブランコ乗りのキキ」のような生き方そのものは否定しない(羽生さんも割とそういうところがあると思っている)。
読み違えまくっている人ばかりだが、羽生さんの場合、あくまでもそのベクトルは内へ内へと向かっているのだ(=負けは死)。

しかし、内村さんや内村さんを擁護する人たちは違う。
内村さんの発言は「みなさんで考えて」です。
何故、外側まで巻き込む?何故、その対策を組織や政府でなく一般市民に要求するの?
まるで一般市民に支持されていない事へのあてつけのように。
あなた何様のつもりなんですか?…って、本当に申し訳ないけど、心の底からそう思いました。

オリンピックに反対してる人は「申し訳ないけど、うちらの命と比べたら貴方達の"一生に一度の舞台"とかマジでどうでもいい」って人が殆どでしょう。
なぜこれに気付けないんだろう。
スポーツの試合とか、緊急時の世の中で何の役にも立たないんですよ。
あってもなくても変わらない。
経済効果なんて言われても、他のものでいくらでも代わりが効く。
「スポーツでなきゃ埋められない穴」みたいなものって、競技関係者やファン以外には存在しない。
私にとってはフィギュアスケートってとても大切だけど、他の人からしたらどうでもいいんだよ。
どうでもいいから蔑ろにしたらいいってわけじゃないけど、今はそういう時期じゃないよね。
大衆にリスクを負わせてまで"どうでもいいこと"をさせる権利が、何故貴方達にあると思えるんですか?

リスクを負わせようとする人たちと比べて、羽生さんや新谷さんたちの現実認識能力は内村氏よりも遥かに高いと言わざるをえない。
トップアスリートであるという自分達の特権性を、よく理解している。
非常時でも「特別扱い」され、好きなことを続けられるということがいかに「特別」かということを。
沢山の人の支えがある状態、お金に困らない状態、栄養管理できている状態、パフォーマンスを維持できている状態、メンタルが安定している状態、その中で競技を続けられるという事の特別さを。
この大切さがわかっているからこそ「罪悪感」という言葉を口にしたんでしょう、羽生さんは。

何の支えもなく職を失い、自殺を選んだ人もいる。過労死レベルで働き詰める医療従事者もいる。サービスが続けられなくなる介護事業もある。
そういう中で自分達は好きなことをやっている。しかも直接何か手助けできるでもない。
ありがちな「励ますためにやりました」なんて言葉が、何の励ましにもならないことも知っている。
そういうことを解ってる人の言葉なんですよ。羽生さんとか新谷さんたちの言葉はね。
綺麗事とか格好つけとか、そんなものだけで生きれないって事に気付いている人の言葉。

そもそも「好きなことを非常時でも続けられている」という事の尊さについて、ここ十数年で起きた震災や災害の時に気付いておくべきだったんですよ。
そして今回、震災より多くの人を巻き込む感染症が発生しているにも関わらず、この何よりも大切なことに気づけないなんて、人としてどうかしていると思う。
心や感性が死んでるどころじゃなく魂が死んでるんじゃないだろうか。
「競技者だから」とか「○○ファンだから」ではなく、人として今の世の中をどう生きるべきかを考えて欲しい。