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あおなじみ

日常生活。恨み節。性別捨てたい非国民。ネガティブ。

イカルスが幾人も来ては落っこちる

Hope&Legacyは、色々ごちゃごちゃ考えてた私バカだなあと思うくらい素晴らしくて、涙が出そうだった。
いままでプログラムの初披露のときは「すげー!」とか、「こうきたか!」みたいな、単純な驚きや新鮮さに興奮していたが、H&Lは柔らかさと美しさと、優しさのようなものに感動してしまった。
そして4Loの認定(おめでとう)と、「そうじゃなきゃ羽生結弦じゃない」の発言。改めてなんか、すげえなと思った。

そうじゃなきゃ羽生結弦じゃない。
この時のインタビューが椅子に座って行われたものらしく、上の方を向いて話していたのも、その発言の恐ろしさと、どこか自分自身を突き放しているような感じを後押ししているように見えた。
羽生結弦にとって「羽生結弦」とは何なんだろう。昔から人からどう見られるか・どう見せたいかを気にしているタイプだったが。おそらく高い目標があり、そこには羽生結弦の思い描く理想の「羽生結弦」がいるのだろう。
しかし、一つの目標に到達し、目標に到達するたびに新たな目標に到達し続けれる人は滅多にいない。皆、途中で落っこちていく。延々と目標に手をかけ続けれる人はそうそういない。だが、羽生結弦は今のところ、その目標をクリアし続けている。私はそれがなんだか恐ろしい。この人、このまま死んでしまうんじゃないか?と思う時もある。

私の好きな梶井基次郎の短編に「Kの昇天」というものがある。
月と影に魅入られた青年が、自分の影の中に自身の幻を見いだし、幻の中に引き込まれ、魂が月に登っていくという話だ。
私は羽生結弦の肉体が精神に追いついてないというか、精神がひたすら肉体を引き回しているような状態を見るたびにこの短編を思い出す。
あまりにも美しく透明感が高すぎるため、よく「月に帰ってしまいそう」と言われるが、私はKくんのように、いつか精神が肉体を離れて遥か高くの月に到達してしまうのでは、と思っている。
それくらい彼の肉体の実体感は希薄だ。あんなに存在感があるのに、どこか無機質ですらある。もちろん、怪我したり体調崩したりするから、無機質などではないのだが、まるで肉体にスペアがあるかのような振る舞いをしている。
肉体の感覚が鋭利な割には痛覚が希薄そうな感じとか、きみのボディーは一個しかないんだぞと叱りつけたいが、それでも彼は進もうとしていくのだろう。

理想という月に到達するために、今まで一体どれだけの人が落っこちてきたのか。
羽生結弦は「スポーツは残酷」であり「努力は嘘をつく」とも言う。その言葉はきっと自分自身のことだけでなく、墜落していった他者を見てきたからこそ産み出された言葉だろう。
もしかしたら、墜落していった理想像になれなかった者達がフィルターのようなものの中にたまって、そのたまった液体から絞り出された一滴が今の羽生結弦なのかもしれない。そう思わせるほどの純度と強度が、羽生結弦にはある。
そういう凝縮された何かに精神を動かされ、羽生結弦は「羽生結弦」という高い目標を掲げているんじゃないだろうか。もしかしたら、それが使命と思っているかもしれない。

再度梶井基次郎の詩に例えてしまうと、彼は「桜の樹の下には」の「桜」なのだ。
彼の美しさ・強さの下には、墜落していった他者の屍体や、あるいは彼自身の表には出ない苦悩や、精神に置いてけぼりにされた肉体の一部なんかが埋まっている。
そして、それらを吸い上げて美しく咲いている。そういったグロテスクな側面があるからこそ、羽生結弦は美しいんじゃないだろうか。

遅かれ早かれいずれ彼は月に行ってしまう。
どうかそれまで肉体が保ちますように。そして、精神が肉体を離れすぎませんように。