あおなじみ

日常生活。恨み節。性別捨てたい非国民。ネガティブ。

REALIVEにみる、巨匠・羽生結弦の萌芽

 4/11、運がいいことにREALIVE初日を観る事ができた。前半はとてつもなく豪華で高級な幕の内弁当を出されたかのような、宝石箱をひっくり返したかのようなラインナップで、なかには謡からのSEIMEIなど意表を突きながらも「成る程」と唸るようなコラボレーションもあった。m7kenjiさんの新作か?と思われるドット絵も嬉しかった。
 YouTubeメンバーシップ(以下メンシプ)等での最近の羽生結弦さんの様子を知っている人なら分かっていただけるかと思うが、羽生さんはここのところかなり気持ちが落ち込んでいるようだった。なので、羽生さんのメンタルの状態を非常に気にしていた訳ですが、どうやら羽生さんは本番を迎え観客の反応を得て、精神が落ち着いたようだった。
 羽生結弦は私と似ている。こんな事を言ったら多方面からお叱りを受けるかと思うが、こんなしょうもない自分と、世界的アスリートの自分は、どこか似ているのである。かつて羽生結弦はRE_PRAY横浜公演にて「皆さんの写し鏡でありたい」と発言した。つまり、私は羽生結弦を見て、自己を見いだしているのかも知れない。が、それにしたって、羽生結弦は自分に似すぎているように感じる部分があるのだった。
 かつて私はデザイン系専門学校に通っていた。自分が表現したいものを、他人の評価など気にせずに作るタイプだった。そんな中、就職活動の「自己分析」で完全に自分がブッ壊れた。まだまだ求人は買い手市場で充実していない時期で、ブラック企業蔓延る広告や印刷業界への就職は諦めた(今となれば正解だった)。卒業制作は他の人達が順調に、楽しそうに絵を描いていくなか、私はといえば自分の中の心の傷を抉るかのような気持ちで作っていた。出来上がったのは死の臭いがする作品で、ハッピーエンドとは言えないような絵本だった。
 そんな風に私は作品を作っていたので、羽生さんが作品を作りながらメンタルを病んでいったり、傷口を抉るような真似をしてしまう理由が分かる気がするのだった。自分の内面に掘り込んでいくと、自分のダメなところばかり目に付いてしまう。羽生さんも私も自己肯定感が低いので、生半可な出来では自分を許せないのだ。最近の私はゆるい絵しか描いていないので、だいぶ落ち着いたとは思うが、羽生結弦は卒業制作を作っていた頃の私のような精神状態をずっと保っているのではなかろうか。
 普通の人の瘡蓋はただの血の塊でしかないが、羽生結弦の瘡蓋は宝石のようになる。羽生結弦は何度も何度も瘡蓋を剥がし、血を流し、また宝石にして、剥がして血が出て宝石にして…を繰り返しているように見える。羽生結弦は自身のことを「媒体」とも言う。また、RE_PRAYのプレイヤーズガイドでは自身ををひび割れた器に例えていた。

水を足さなかったら枯れてしまうけれど、周りの環境があって、たとえば僕で言えば、見てくださる皆さんとか一緒につくってくださるスタッフとか、そういう人たちがいるから、僕はその空っぽのひび割れているウツワにも、漏れてはしまうけれどずっと水を足し続けることができるのです。(RE_PRAY プレイヤーズガイド 52pより)

 共感覚にしたってそうだ。共感覚だけなら良かっただろうが、羽生結弦はひび割れた器の持ち主。穴もヒビもない普通の器の人々には理解しにくい苦労があることだろう。私に共感覚は無いが、ひび割れた器を持つ者同士、ある種の過敏さや生活面での苦労が少しは想像できる。美しい金継ぎが出来るとしたら、それは自分自身を赦し、愛せるようになった時なのだろう。それまで羽生結弦は自分の宝石のような瘡蓋を剥がしながら、スケートを滑り続けるのかも知れない。羽生結弦という桜の樹の下に、羽生結弦が埋まっているように。

 REALIVE後半、「Prequel:Before the WHITE」は初見では話がよく分からないというのが正直な感想だったが、この「ぶん投げ」感に「巨匠」の萌芽を感じさせた。正確にはEchoes of Lifeの頃から「巨匠」感があったのだが、Prequelで「いよいよか」と感じた。私はこの「ぶん投げ」は観客の読解力を信用しての「ぶん投げ」ではないと思っている。「私はこう投げました。あなたはどう受け止めますか?」という「ぶん投げ」のように感じた。
 私は以前から羽生結弦は「巨匠」を目指すべきだと考えていた。内輪で終わらない、世界に名を轟かせる巨匠だ。黒澤明や宮崎駿のような存在に、羽生結弦はなるべきなのだ(なったらそこで自分を赦せるようになるのかは分からない)。そのためには普遍的な「正しさ」が必要だ。その「正しさ」はRE_PRAYやEchoes of Lifeで示されてきた。だから今回の「White...」も、何かしらの「正しさ」を示してくるのではないかと思う。
 混迷を極める世の中で、羽生結弦が呑気に「世界って美しいよ✨️キラキラ✨️」という内容だけで終わりにするとは思えないのだ。何故なら羽生結弦だから。埋められないひび割れた器の持ち主で、宝石の瘡蓋を剥がし、羽生結弦という桜の樹の下に羽生結弦を埋める、羽生結弦だから、何か世の中へのメッセージ的なものもあるだろう。
 ぶっちゃけ、現状の世界情勢ではWhite...が観れるかは未知数だと思う。そんな情勢で自分が出来ることは何か?4/19の国会前のデモには「架空団体のノボリ」を持って出向くつもりだ。White...だけではない。全ての表現物を守るためにも戦争を避け、イランとの対話を進め、ナフサや原油の供給を速やかに行うべきではなかろうか。
 RE_PRAYの裏テーマは「戦争やメディアによる印象操作、政治への考え方」だった。Echoes of Lifeはド直球の反戦だった。ダニーボーイもミーティアも、根底には反戦・非戦がある。さて、White...はどうなるのか。Echoesは今上演していたら、国の権力者から睨まれるような作品になっていたかも知れないな、と思う。だって、憲法改正に反対してたから。
 White...はどうなのか。まずはPrequelのアフターパンフレットを楽しみにしたいと思う。

ファシズム化する推し活ファンダムにどう向き合うか

昨今の羽生ファンダムにはゾッとするものがある。具体的に何にゾッとしているのかというとコミュニティーノート合戦だ。
拡散されているツイートや大手のアカウント、アンチアカウントにならコミュニティーノートを付けてもいいと思う。
だが昨今は、一般市民の誤解に基づくボヤきレベルのツイートにもコミュニティーノートをつけているのだ。それは言論統制じゃないのか?と私は思う。

思い返せば2019年のグランプリファイナル辺りからその兆しはあった。あの頃から、単なる犯罪行為を注意したアカウントに攻撃していたのだ。
https://kurage27.hatenablog.com/entry/2019/12/10/201529
ジョニーに対して悪質なデマを拡散した事もあったし、
https://kurage27.hatenablog.com/entry/2021/04/04/142951
大規模なフォロワーがいた、とある大手アカウントがアカウント削除に追い込まれた事もあった。
衣装をデザインした伊藤さんが「画像の無断転載をやめて欲しい」と言っただけで羽生アンチ認定された事もありましたね。
本当に酷いことばっかりしてるな。アンチに対して説教できるレベルの人間なのか?

私は推し活において「推しを全肯定しなくてはいけない」という考え方が、反吐が出るほど嫌いだ。
この世で間違わない人間は存在しない。羽生結弦も何度も間違えている。間違いを無かった事にするのは、非人間化するという事ではなかろうか。
そして非人間化した推しを祭り上げ、全肯定以外の意見を潰しに行くのは、まるでファシズムのようだ。

羽生結弦はそういったファシズム的統治を望んでいるのだろうか?私はそうは思わない。
何故なら、ファシズム的なものに抵抗したストーリーがEchoes of Lifeだからだ。
ファシズム的統治から産み出されたものの、VGH-127という女性から託された愛情から「ケアする役割」を見出したのが主人公NOVAだったはずだ。

私はこの言論統制的な流れが良い結果を生み出すとは思えない。産み出すとするならば「羽生結弦のファンってこえーよな」という流れくらいだろう。
それは羽生結弦本人にとって良いことなのだろうか?否定的な感想を述べただけの一般アカウントに粘着する事を繰り返して、何を目指しているのかが私には全く分からない。
NOVAは世界に残された憎悪の声をかき消した後「良かったのだろうか?」と自問自答したが、ファンダムの面々は立ち止まって考え直すこともなさそうだ。
RE_PRAYでも勝利に取り付かれた「キャラ」に操られた主人公は「破滅への使者」になってしまう。そこから感じ取ったことは何もないのだろうか。

私は羽生結弦の作品の、良い観客でありたいと思っている。だから感想をめちゃくちゃ長文で書くし、受けとったメッセージを大切にしたいと思う。
ごく普通の一般市民のツイートまでターゲットにしてコミュニティーノートを付ける方々は、どんなメッセージを作品から受け取ったのだろう。

私がボヤいたところでどうにかなるわけではないし、これからもっとファシズム的傾向は加速するだろう。その時羽生結弦はどうするんだろうか。そこにも非常に興味がある。
これまで羽生結弦は、ファンに対して何かの要求や注意をすることが殆ど無かった。逆上されるのが怖いからだろう。10代の頃から自宅に押し掛け、本人にトラウマを植え付け、離婚の一因になっただけある。
でも「それは甘えだ」と言われる日も近いと思う。そろそろ、羽生ファンはとんでもない事をやらかす気がするからだ。(まあ既にやらかしまくっているのだが)

私は羽生ファンが悪質化した先輩スケオタ達の二の舞にならないようにと、ソチシーズン頃から注意喚起を続けてきた。が、何の効果もなかった。
暴走を一切止めることが出来なかったが、問題視して声を上げることをやめなかったので、世間的には「一般常識を持った比較的まともな羽生ファン」として映るだろう。

ファシズム的な皆さんは、巡り巡って結果的に羽生結弦を貶めるようなアクションをこれからも取り続けるのだろう。
その結果がどうなろうが、結局のところは羽生結弦の評価に直結してしまう。その時に責任を取るのは、あなたたちではなく、羽生結弦自身なのだ。
私はこのブログを書くことで世間からのファンダムへの批判からある程度は逃れることが出来るが、「その時」が来たら皆さんはどうするのだろうか。
「私も酷いと思ってたんだよね~」というポーズでしょうか。私も皆さんのように面の皮が厚く、鈍い感性の人間に産まれたかった。何かが起きてからじゃ遅いのにね。

今後も「全肯定」という要素が伴う限り、推し活は暴力装置になるだろう。先鋭化したファンに壊されていく人達を見ても、何も思わないようにしましょう。それが推し活を続けていくコツです。私は先鋭化したファンを否定し続けますけど。

19歳の羽生結弦はハラスメントにどう対応すべきだったのか?

追記:2021年にも同様の内容のブログを書いていたことに今更気付きました。羽生ファンてこの頃より先鋭化してますよね~ 今のほうが身の危険を感じますもん。

https://kurage27.hatenablog.com/entry/2021/02/27/111454

ソチ五輪。羽生結弦が19歳だった頃、浅田真央に安倍晋三へのハグを勧める動画が批判されている。
https://x.com/i/status/2025575784786878770
当時から見ていると体調が悪くなるので見ないようにしていたが、改めて見ると本当に具合が悪くなってしまったので、動画へのリンクは貼らない。詳しくはコミュニティーノートを参照して欲しい。
まず私の前提は「ハグさせようとする橋本聖子が一番悪い」「周りの大人が止めろよ」というスタンスだ。
それを踏まえた上で、やっぱり羽生結弦の言動はめちゃくちゃ気持ち悪いし、過去の嫌な経験がフラッシュバックすると同時に、ある種の同族嫌悪のようなものも羽生に対して感じてしまうのだった。
この動画に不快感を感じる人は浅田真央に感情移入したり、浅田真央に自己を重ねているのだろう。私もそうだ。羽生結弦は総理大臣を前にして浮かれてハシャぎ過ぎたたのではなかろうか。羽生の気持ち悪さは、その場のノリで加害に加担する様は、いじめられているクラスメイトに向かって囃し立てていた男子のような気持ち悪さだ。羽生の囃し立て方を見ても何とも思わない人は、自己のこれまでの行いについて振り返った方が良いと思う。

しかし、この行動は19歳の羽生結弦が行ったものなので「未成年にそこまでの責任を追及してどうするの?」という話ではある。過去の過ちとして反省すべきだが、謝罪をしても「自分が気持ちよくなりたいだけの謝罪」「嫌な思い出をフラッシュバックさせてしまうだけの謝罪」になりかねないため、ご本人への謝罪もしない方が良いと思う。
19歳の羽生結弦には出来なかったことでも、31歳の羽生結弦は、ハラスメントを止めなくてはいけない立場だ。もちろん自分からハラスメントを行ってもいけないし、加担してもいけない。とにかく、過去の過ちとして深く反省することが必要だと思う。

なぜ私がそう考えるのかというと、羽生結弦の可能性を信じているオタクだからだ。羽生結弦のプロ転向後の作品「アイスストーリー」では、世の中の出来事について危惧しているかのような内容が盛り込まれている。
直近のEchoes of Lifeでは憲法改正に反対するかのような内容も含まれていたほどだった。
https://kurage27.hatenablog.com/entry/2024/12/15/223503
プロジェクションマッピング等を駆使した演出も素晴らしく、作中の映像のクオリティも高い、明らかに世界を狙えるクオリティの作品だと感じたからだ。
ちなみにこの作品とは関係ないが、過去に滑ったロシア絡みのプログラムを再び滑ることは無い、と本人が明言している(メンシプ限定なのでソースが載せられなくて申し訳ない)。
31歳の羽生結弦が19歳の頃の羽生結弦と同じ事をしたらハラスメントの問題になるのは、盲目的なファンにも理解できるのではないかと思う。
世界進出を目指さないならそんな事は気にしなくても良いが、目指さないのなら社会問題を考慮した話なんて作らなくていいし、なんならもっとローコストなショーでファンと慣れあう事も出来るはずだ。
ファンとの馴れ合いでいいならハラスメントしようが何しようが盲目的なファンが着いてきてくれるだろう。そして私はオタクをやめるだけだ。
だが羽生結弦はRE_PRAYのストーリー展開からもわかるように、そんなものは望んでいないはずなのだ。そんなものは破滅にしか繋がらないのだから。
https://kurage27.hatenablog.com/entry/2023/11/19/163507

今回の炎上で羽生結弦にムカついた人は、これからも羽生結弦がマトモであれるように監視をして欲しい。私もマトモな羽生結弦を求めているからだ。そしてハラスメントでもしようものなら、公演の中止を求めてくれていい。そんな人間の行う表現に価値は無いからだ。
今後、Notte Stellataと、REALIVEというショーがある。その先にはアイスストーリーシリーズの新作も待っているはずだ。そこで、羽生結弦がハラスメントやその他諸々の暴力に対して肯定的であるならば、私も再び批判しようと思う。

#秋に痩せて #ホソナル は、病気や障害への配慮に欠けているのではないか? #メンシプらじお

羽生結弦さんのファンダムで9月上旬から「 #秋に痩せて 」というハッシュタグが作られました。なぜこのハッシュタグが出来たのかというと、羽生さんがメンバーシップ限定の投稿で「みんなで痩せましょう」といった趣旨の投稿をしたからです。(実際の投稿は語尾に「(強制)」と付いています)
一応これには「痩せすぎている人は栄養満点に」という趣旨のフォローや、その後のメンバーシップ限定配信でも多少のフォローがあったものの、個人的には不十分だと感じ、ファンダムの雰囲気も含め肯定的には受け止められないと思いました。

私がまず頭によぎったのが「摂食障害」のことです。痩せて健康になることは大切だと思いますが、羽生さんが痩せることを「強制」してしまうのは、摂食障害の方への精神的な負担にならないでしょうか。
摂食障害の方は、ガリガリにやつれていても、自分のことを太っていると思っています。なぜなら、認知が歪んでしまっているからです。
元々痩せ体型の羽生さんからすると、体型の話はデリケートなものでも何でもないのかも知れませんが、女性への社会的な目線(俗に「痩せ信仰」と言われるもの)や、フィギュアスケートといった競技は、摂食障害と密接な関係にあります。
摂食障害を患っていた鈴木明子さんなど、痩せなくてはならないと思い詰め、病気になってしまった方は羽生さんの身近にもいらっしゃいますよね。羽生さんのコメントは、そうした当事者の方へのプレッシャーになるものでないでしょうか
身近なところに摂食障害に苦しんでいた方がおられるのであれば尚更「痩せること」についてあれこれ言うべきではないと思います。他人に強制せず、ご自身だけで行うべき事です。
もちろん体重管理が大切なスポーツであることは理解していますが、それでもやはり、病気や障害のある人への配慮は忘れるべきではないと思います。
(ちなみに、町田さんはフィギュアスケーターの摂食障害について以前から問題視しているそうです。)

太っている理由も人それぞれです。どうしても痩せられない人も居ます。遺伝的、体質的なものは勿論ですが、薬の副作用で太ってしまう人も居ます。
メンタル系の薬は性質的に痩せないようになっている薬が多く、私が過去に飲んでいたADHDの薬「インチュニブ」は低血圧になり代謝が下がることで、太りやすくなってしまう薬でした。
もし「そんなの甘えだろ」と思うのなら、精神的な調子を崩したときに精神科に行ってみるといいと思います。処方された薬を飲むとほぼほぼ太ります。薬を飲みながらのダイエットは難しいです。
(試しにTwitterで、薬の名前+太るで検索してみて下さい。みんな太ったと言ってます…。)
そもそもの話として、肥満は近年では「肥満症」として医療での治療対象になっていますので(BMIの度合いによります)、素人考えでのダイエット(アスリートも医療に関しては素人ですよね?)を行うよりも、保険適用で医師からアドバイスを受けた方がいい場合もあります。

私としては「人それぞれ様々な事情を抱えているので、他人の体型についてあれこれ言うべきではない」というスタンスです。
どうせ無駄だろうなと思っているので、私はご本人様や皆様に改善を求めようとは思っていません。同様の内容のものはYouTubeのコメントにも書きましたが本人にはおそらく届かなかったし、ファンダムもファンダムでアンチ認定する人が横行しているからです。(私のファンダムからの被ブロック数は凄まじい)
このままのノリを外に出したら余裕で炎上するので、この記事は「(炎上したときに)外部の人たちから見て、マトモなオタクが1人でもいると思ってもらえるようにしよう!」という自己防衛的な感じで書きました。自分に火の粉が降りかからなければいい、という感じです。

これから羽生さんがこうしたネタを公の場で話し、炎上しないことを祈ります。そしてこのブログ記事の内容が誰かの気付きのきっかけになるといいなーと思います。 

 

※追記:2026年2月現在、メンシプで羽生さんから「ホソナル」の話題が出ても「痩せること」を肯定的に語ることは無くなりました。「健康的に過ごしましょう」というニュアンスに変わっているように思います。もしかしたらコメントやブログを読んでくれたのかも知れません。今後は気を付けてくれる事を祈ります。

羽生オタクのゲーム探訪・1「エストポリス伝記2」

はじめに

今回からブログにてシリーズ化でもしようかなーと思う「羽生結弦オタク視点」からのゲーム感想シリーズ第1回目です。私自身ゲーム好きでもありますので、そういう視点もかなり含まれると思います。このシリーズでは、実際に私が遊んで、クリアしたゲームを紹介します。
記念すべき第1作目は「エストポリス伝記2」。「エストポリス伝記」の続編ですが、ストーリーとしては前日譚となっております(なお、1作目は未プレイ)。
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エストポリス伝記2を購入したのは2023年10月14日。RE_PRAYの初演11月4日よりも前の事。本当に偶然、公演前に購入していた。もちろん公演までにクリアするような時間は無く、SDカードのトラブルで途中でデータが消えたりもしたので、クリアするまで時間がかかってしまった。
私は元々レトロゲームが好きなこともあり、エスト2をきっかけに所謂吸い出し機と互換機も購入した。スーファミのカセットで遊ぶといつデータが消えてもおかしくないし、テレビに繋がなくても遊びたいという理由からゲームボーイ風の互換機を選択した。
エストポリス伝記2は1995年2月24日にされたスーパーファミコンのゲームだ。羽生結弦がまだ赤子の頃に販売されたゲームで、ゲームファンであればうっすら名前を聞いたことがある位の存在感のゲームではないだろうか。少なくとも「有名」ではなく、マイナーなゲームに属する作品ではあると思う。
この時期はFF(ファイナルファンタジー)、DQ(ドラゴンクエスト)に続けと様々なRPGが作られていたが、エストポリス伝記もそのうちの一つだ。ちなみに検索したところによるとCMを打っていたもののセールスは思わしくなく、理由としては1994年の12月3日に初代プレイステーションが発売され、スーファミの勢いが失われつつあった事もあり、時代の中で埋もれていってしまったゲームのようだ。

しかしエスト2は当時のマイナーRPGとしてはよくまとまっていてバランスもよく、スーファミ時代の良いとこ取りのRPGとも言える。ゼルダの伝説不思議のダンジョンを足してる感じである。
当時のRPGは結構バランスが狂ってるものが多く、(殆どエアプではあるが)プレイ動画を見ている限りでは敵とのエンカウント率が異常に高かったり、経験値が少なすぎてレベリングが辛かったり、ストーリーがあってないようなものだったり、グラフィックが微妙だったりと、どこかしら足りないところがあるのが普通だった。
でもエスト2は、その辺りの平均値の最低限以上はクリアしているように思える。最低でも各項目「10点満点中6~7点はつけられる」ようなゲームだ。だからこそ、あまり語られないゲームになってしまったのかも知れない……。
(たとえば飛び抜けたクソゲーなどは「音楽だけは良い!」などと言われて、後々まで語られがちだ。チーターマンとかスーパーモンキー大冒険とか…)

【雑評】
  • バトル曲やフィールド曲の良さ
    言わずもがな名曲。特に「地上を救うもの」が流れる展開はアツい。
  • グラフィックが良い
    超美麗というわけではないが、細部まで整った綺麗なドット絵。とくに宝箱から取り出したアイテムのアイコンが細かく作られてそうなのがよかった。
  • 移動速度が早い、エンカウント率がちょうど良い
    まじでサクサク移動できるし、エンカウント率もちょうど良い。ダンジョンがシンボルエンカウントなのも偉い。
  • バトルテンポのよさ、レベルがサクサク上がる
    サクサクと進むバトル!レベルアップしすぎ感もある(後述)。レベル上げが好きな人には嬉しい仕様かも?
  • カプモンが楽しい
    若干煩わしい気がしなくもないが個人的には楽しさが上回った。すぐ死んだり逃げたりするけど。
  • アイテム等のヘルプが親切丁寧
    呪文とか武器の効果がわかりやすくて有り難かった。
  • エンドコンテンツ(いにしえの洞窟)の良さ
    RPG不思議のダンジョン的なランダム生成ダンジョンまでついてくるとは思わねえよ?!というサプライズ感あり(ダンジョン内でもバトルはコマンド式です)。
  • 数曲あるダンジョン曲がどれも単調でつらい
    スタッフさんが少なかったのかも知れないが、ダンジョン曲スキーとしてはなかなか辛かった…。
  • 作業感ある謎解き
    これは人によるけど攻略を見ながらやっていた事もあり、なかなか辛かった。似たような作業が多いかな…。ゼルダと比べるのもどうかと思うが「なるほどねー!」と感心するような謎解きでは無い。謎解きというよりはパズル。
  • 当たり前に古いジェンダー
    セクハラとかラッキースケベ的展開は無いのでそこはいいんだけど「男はこう!女はこう!」という感じではある。そこが「時代を感じるなあ」という感じです。
  • パーティー離脱者のアイテムの扱い
    持ち逃げします。アイテム持ち逃げを許さない市民の会、発足するか…?
  • ザコモンスターが強くてレベルをどこまで上げるべきかわからない
    レベル上げすぎてボスが雑魚化したのは私だけでしょうか。
  • ストーリーはそこまで凝ってない
    ストーリーで主人公とヒロインがくっつくのはよくあるけども、まさかの………になって、………になっても夫婦が揃って旅を続けるっていうのはなかなか他では見られない展開。
    しかしそれ以外はマジで普通。意外性とかはナシ。ただ、ラストの展開・音楽(地上を救う者)はマジでアツい。激アツですね。
【総評】(各5点満点)
  • 遊ぶまでの遊びやすさ:★
  • ゲームとしての遊びやすさ:★★★★
  • ゲーム体験としての楽しさ:★★★
  • 羽生ファンとしての体験:★★★

羽生結弦が好きと言ったゲームの中では、レトロゲー特有のデータが消える恐怖感や、それを克服するための互換機・吸い出し機の使用や、普通に遊ぶにしても状態の良い中古ハードから買わなくてはならない事など、なかなかプレイするハードルが高い本作。

羽生結弦と同じ体験をしたい」という理由でわざわざやる価値があるのか?というと、結構微妙なラインではないかと思う。ただ、ハードルが高いが故に、やったらやったで自慢にはなりそう。アイスストーリーの考察に深みが加わるというよりは、エッセンスになる程度ですかね。羽生さんと一緒に滑ってたあの光の玉の意味が分かるかなーという位。
ゲーム体験としてアリか?というと、同時期の他のマイナーRPGよりもやる価値はあるが、古いシステム面に耐えてまでやる程のものでもないかもしれない。有名どころのRPGをやり慣れていると、物足りなさを感じると思われる。
エストファンの方々には申し訳ない感じの評価になってしまったが、個人的にはこんなところかなあという気がしてます。しかし!「地上を救う者」の流れるところはガチでアツい展開なので、興味を持たれた方は遊んでみて下さい。

youtu.be

「Echoes of Life」羽生結弦は何者になろうとしているのか

2024年12月7日。

この日は新しいエンターテイメントの形式が誕生した日になったように思う。この日羽生結弦は30歳になり、Ice Storyシリーズ第3弾「Echoes of Life」ツアーは始まった。
羽生結弦。一般的にはどう思われているのかよくわからないが、震災へのチャリティー活動をしている事はそこそこ有名な話ではあると思う。しかし彼がどんな考え方を持っているかについては、オタクの我々にすらいまいち分からなかった点ではある。
そもそも日本においては有名人が自分の思想信条について語ることは少ない。「あの事を語っているのだろうな」というアーティストの作品はあれどごく少数で、ましてやオリンピック二連覇したアスリートがそのような思想信条を詳らかに語ることは今まで全くと言っていいほど無かった事のように思う。
羽生結弦Twitter上の政治系クラスタからは思想信条に関係なくかなり誤解されている人物ではある。具体的には、右派からは「自分たちと同じ(偏狭な)愛国者、左派からは「安倍政権時代に国民栄誉賞を貰ってしまったヤベー奴」*1といった具合に。
このようなイメージを持たれがちな羽生結弦が、自分の思想を語るはずがない。作中においても述べるはずがない。"思想の強い"私ですら、そう思っていた。

羽生結弦の思想

前置きが長くなってしまったが「Echoes of Life」とは「羽生結弦の思想」が感じられる作品である。
もしかしたら大半の羽生ファンはそうした「羽生結弦の思想」を見ないようにするかも知れないし、実際に「思想」を感じている人間は今のところ僅かだ。敢えて言及しないようにしている人も居るかもしれない。
「Echoes of Life」は荒廃した未来の地球が舞台の、所謂ポストアポカリプスものだ。演出にはこれまでのIce Story2作と同様MIKIKO先生が関わっており、シナリオは羽生結弦が書いている。作中では「VGH」という人工的に遺伝子操作されて誕生した人間が登場するが、羽生はそのVGHの一個体である「NOVA(VGH-257)」を演じる。
VGHは人手不足を解消するために能力を最適化され、NOVAには「音の力(音を再生する力)」が与えられている。NOVAは記憶を失っており、自分の力や出生の謎について探るうちに、VGHと人間の間で戦争があった事を知る。そして、NOVAが兵器として造られた元人間であることが判明。NOVAは兵器としてたくさんの命を奪ってしまった過去の自分と向き合い、最終的に未来の命を守るために自分の力を使う…という話の流れになっている。
ここまでの内容で「なるほど、反戦の話か」と思われたのではなかろうか。もちろんそうだ。何しろ2025年1月3日と5日には広島での公演が控えている。パンフレットのMIKIKO先生のお話によると、広島グリーンアリーナは取りにくい会場だそうだ。だが敢えて「広島」で行う、その意味は確実に持たせているだろう。前回での「RE_PRAY」佐賀公演でも、長崎が隣県ということで原爆の話していたので、意識しているのはまず間違いない。

しかし反戦」だけ、ではないのである。

今回は公演前に「ストーリーブック」というシナリオ本が販売された。そちらでは尺の都合上ショーの中で省かれた要素も書かれており、VGHという遺伝子操作された人間が誕生した経緯として、こう書かれているのである。

あの世界は人があまりにも足りなくなっていた。保育園や児童館はもちろん、長らく憲法によって守られてきた義務教育制度は、教員不足によって廃止された。地球温暖化が進み、人間が生活できる場所がどんどんなくなる中、学校などの子供を守る、育てるという施設も激減し、子どもの教育は国民の約半数がようやく受けれる程度になっていた。
(略)政治家たちは、経済と保身でいっぱいいっぱいだったため、国民のケアは優先順位がかなり低かった。(Echoes of Lifeストーリーブック 36pより)

どうだろうか、この表現。私のようなリベラル寄りの人間が見たら、良い意味で「えっ!?」とならないだろうか。この手のポストアポカリプスものは近年の漫画作品でも割とよくある話で、戦争について語られることはあれど「憲法」や「国民のケア」について語られる事は殆ど無いのではないかと思う。
また昨年の公演「RE_PRAY」の「RE_PRAY PLAYERS GUIDE」内でも、作品の「裏テーマ」として「戦争やメディアによる印象操作、政治への考え方(p5)」と書かれている。こんな事を書いているのである、あの、羽生結弦が。

VGH-127の描写

「Echoes of Life」では他にも注目すべき表現がある。作中に登場する、人間時代の幼少期のNOVAを助けた「VGH-127」というキャラクターだ*2
このキャラクターは孤児院で働いているVGHで、日本語版のストーリーブックでは性別を限定した描き方はされていなかったが、英語版では「She」と表現され、映像シーンでも女性のシルエットとして表現されている。本人曰く、VGH-127は自分ではなく、性別はどちらでも良かったとの事。しかしここで敢えて「女性」にしたという事に私は深い意味を感じた。
社会に存在するジェンダーバイアスとして、子供を育てる、ケアをするといった役割は女性が担うものとされてきた。ケア労働は低賃金で働かされたり、存在しない労働力として扱われがちのものだ。そして、慢性的に人手が足りない部門でもある。
作中でVGH-127は孤児院にすら見捨てられた、人間だった頃のNOVAの世話をしていた。しかし127の行動が職員に見つかり、実験施設に収容されてしまう*3。その後施設から脱走しNOVAを助けようとしたが叶わず、127も死んでしまう…というストーリーになっている。
物語終盤、NOVAは自分と127の死がきっかけで戦争が起こり、自身がVGHの兵器として蘇らされ、自分の力で世界を終末に導いてしまった事を知る。自分が生きている意味について葛藤するが、ここでNOVAは過去のVGH-127からの「愛してる」というメッセージに救われるのだ。
そして、自分の命の役割を果たそうと決意し草花を「再生」していく*4。NOVAは次世代の命のために、大地を癒やし、ケアするという役割を自分に見出したというわけだ。ここの展開がストーリー前半との対比になっており、無邪気に自分の能力を破壊に使い弄ぶような、いわばToxic Masculinity(有害な男らしさ)的な力の使い方から「ケアをする役割」へと変化しているのだ。

ここまでのシナリオを羽生は、徹夜3日間で書き上げたとの事。(パンフレットのインタビューより)VGH-127についての話は私の考察なので話半分で読んでいただきたい部分ではあるが*5、羽生は元々競技時代から「闘う事による犠牲」のような話をしており、「GIFT」や「RE_PRAY」は自身が数字や勝利に囚われていた事について向き合っている作品のように感じられた*6 
競争の中に自己の価値を見出していたが、勝てなくなってからは自分の価値を何処に置いたら良いのか分からなくなり、災害復興支援や、勝てなくとも人々の記憶に残った北京五輪を経て「ケアをする役割」を見出していったのではないだろうか。羽生のこの心境の変化は「Echoes of Life」の物語とも重なる。

オタクとしての羽生結弦

忘れてはいけない事がある。それは羽生結弦がオタクであるという事だ。私は現代のネット上に蔓延る、読解力のない冷笑的なオタクの事が大嫌いである。例えば「攻殻機動隊SAC」の草薙素子の有名な台詞*7を、そのまま文字通り受け取ってストーリーを理解出来ていないようなオタクなんかの事は、かなり嫌いだ*8
しかし羽生結弦はその点、ぜんぜん違うのだ。創作物から受け取るべきメッセージをしっかり受け取って、自分の作品に還元できている。だからこそ羽生は、自分の作品で現実世界の観客に向けて伝えられるモノがあると信じたいのである。
私は以前から「推し活とは現実逃避装置である」と考えているが、羽生の場合は「自分で現実逃避をして欲しくない」「自分を応援している時間を自分のためにも使って欲しい」という気持ちがあったように思う*9 そして「RE_PRAY」では「主体性を持とう!(自分のコントローラーは自分で握ろう!)」というメッセージがあった。

羽生結弦から発生するEchoes

「Echoes of Life」に込められたメッセージ性についてはここまで書いてきたとおりだが、「RE_PRAY」でもそうだったように羽生は「第四の壁」的な表現を用いて「フィクションを観測する側にメッセージを送る」という手法が好きなようだ。今回は「電線(のあちらとこちら)」という表現で「こちら」にメッセージを送っている。
物語終盤、NOVAが歩いているシーンでは草木が芽吹き、蝶が飛んでいる。ストーリーブックの中では物語中盤でバタフライエフェクトについて言及されており、おそらくこの蝶もそういった意味合いのものであろう。わざわざ現実的な言葉を引用し物語を紡いだのであれば、それは「現実世界へバタフライエフェクトを起こしたい」という事ではないだろうか。
なぜ羽生結弦がこのような物語を作ったのかは、普段から政治的なニュースもチェックしていないと分からない事かもしれない。軍事費が増える一方で福祉の予算は大して増やされず、保育士や介護士、教員などの給料は低く抑えられ、非正規化がどんどん進んでいる。先日は高額療養費が抑制されるというニュースもあったばかりだ。
憲法についても、教育無償化のためと言う政治家もいるが改正しなくとも無償化は出来るし、人権が制限されるかのような文言は盛り込まなくていい。日本が核兵器で他国を加害する国になりかねないという危機感が、もしかしたら羽生にもあるのかもしれない。
NOVAは直接的に世界を変える力は持っていない。しかし我々が、彼の影響を受ける事は出来る。NOVAが我々を観測した時に笑顔になれるような、そんな世界に向けて動いていくことは出来るのだ。我々に出来ることはなにか、もっと主体性を持って考えていく必要があるのではないだろうか。

結局、羽生結弦は何者になろうとしているのか

で。長くなりすぎですが。タイトルにある通り、羽生結弦は何者になろうとしているんでしょうか?
正直私はかなりEchoesに強くあてられてしまって、12月7日に現地で見たときは鑑賞後に具合が悪くなってしまい、胃薬を飲む生活が続いていました。今現在も若干調子が悪いです。RE_PRAYでもその思想の片鱗はうっすら見せていましたが、まさかここまでとは思いませんでした。
今この世の中で、それなりに社会問題に切り込んでいる作品はあるように思いますが、日本国内でここまでのものを作る人ってそうそう居ないのではないかと思います。正直、話のテーマ的には「塚原あゆ子さんか坂元裕二さんあたりが一枚噛んでてもおかしくないのでは…」というレベルのモノを作ってしまったのではないかと思います。
RE_PRAYからの流れからして、もしかしたら今後も社会性あるメッセージの作品を作っていくのかも知れません。個人的にはEchoesの段階で世間の人に知られて欲しいですが、どうなっていくんでしょうかね。
プロ転向後、「スケート界のクロサワになってくれ」などとほざいていた私でしたが、なんだか本当にそういう物を目指しているような気がしてなりません。最近ファンダムでの出来事についてこんな事を書いたばかりですが、我々も羽生結弦が巨匠…になってしまう可能性を考慮して、関わってくれた方達に無礼な振る舞いをするのはやめませんか?
というか、そんな事をしてる暇があるなら世の中のために何かしたほうが良いと思います。NOVAのためにも、羽生結弦のためにも、世界をより良い方向に動かしていくために、動いていきませんか。

「Echoes of Life」が、日本の、世界中の多くの人に届くことを祈っています。そして羽生結弦さんとMIKIKO先生や作品に関わった人々が、このとんでもない大作を2024年に世の中に解き放った事について、評価される時が来ますように。

*1:なお、記念品を辞退した人は羽生以外に居ないようである。

*2:羽生自身は数字から「イツナ」と呼んでいる

*3:映像ではここで127を連れ去る人物は「男性」である

*4:ここの「再生」の翻訳については英語版ストーリーブック・海外配信版で表現が異なるようだが、日本語版ストーリーブックではNOVAが草花の世話をしているような描写になっている

*5:そもそも私は全男性に対してジェンダー観みたいなものを信用していないので…

*6:考察参照:RE_PRAY GIFT

*7:「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ」

*8:あとは「東京喰種」の「この世のすべての不利益は当人の能力不足」とか。読んでねえだろお前ら!!!

*9:この絵馬のメッセージなんかはそれが顕著。画像元

人生で初めてチケットを破り捨てた話

羽生結弦のオタクになって14年。イベントが終わってから初めてチケットを破り捨てた。とにかく記憶から消し去りたかったので、参加したディレイビューイングのチケットを捨てた。
散々X上で言及されていることではあるが、最近の羽生ファンのマナーの悪さには目を見張るものがある。そもそも2019年のトリノから地獄だっただろ…と言われたらその通りですとしか言えないんですが、モラルの無い人間を放置した結果が現状です。
RE_PRAYはアイスショービデオゲームという表現方法を用い、「みんな自分の人生の主人公・プレイヤーになれる」「主体性を持って生きた方がいい」「間違えたらやり直したらいい、死なない限りチャンスはある」そして「あなたたちも僕(羽生結弦)の褌を借りてないで、自分のことを頑張ったら?」というメッセージが込められているように感じた。
 
RE_PRAYは間違いなく、生命賛歌だった。まるで私のような人間に向けて作られた物語であるかのように、自分の中にしっくりとはまり込んだ。そうじゃなきゃ、こんな長文の考察を書けるわけがない。
RE_PRAYでは「観客がゲームのプレイヤー」という事になっている。このプレイヤー、2019年以降の羽生ファンみたいだなと思っている。とにかく羽生結弦というキャラクターを勝たせたかった。そのためには羽生結弦が大切にしている物にすら危害を加えてきた。「攻撃的なオンリーファンこそが真のファン」という考えがどんどん広まっていった。
もちろん私自身は器物損壊なんてしてないし、それについて擁護したことも一切無い。そういう暴力的手法でを傷付けようとするファンとは距離を置いてきたし、事ある毎に批判してきたつもりだ。風紀委員と呼ばれようとも。結局のところ凶暴なファンが増えすぎたので、私は「ファン」を名乗ることをやめ「オタク」と名乗ることにした。
 
本題に戻しましょう。最近の羽生ファンの鑑賞態度は酷いとしか言いようがない。そもそも羽生ファンなのかすら怪しい人が増えた。本当に「顔」しか見てない人がいる。
羽生結弦といえば「東日本大震災」は外せない。羽生は震災をテーマにしたプログラムをいくつも滑っており、一番直接的に震災を表現しているのが「天と地のレクイエム」ではないかと思う。このプログラムは2015年のファンタジーオンアイスが初演で、震災関係のショーやイベントで滑る事もあった。昨年はこのプログラムの動画が本人のYouTubeで3.11に公開され、公演前にも滑っていた事が記事にもなっていた。どれくらい羽生結弦が「天と地のレクイエム」を大切にしているか、どんな想いを込めているか、想像がつく話だと思う。
しかしRE_PRAY宮城公演最終日では、よりによって「天と地のレクイエム」の演技前に奇声が上がった。このプログラムだけではなく、シリアスなプログラムでも、静かにスケーティングの音を聞くようなプログラムでも、羽生が客席に近付いてくるだけで叫んでいたのだが、「天と地のレクイエム」までもその犠牲になった。
羽生結弦初見の客がアリーナ席に座ることは考えにくく、そもそも初見の客が空気も読まずにそんなに叫ぶとも思えず、かといってファンが震災関係の文脈のあるプログラムの演技前に黄色い悲鳴を上げるなんてあり得ないのだが……本当に羽生結弦のファンなんですかね?
 
おそらく海外ファンだろうという事で擁護する人がめちゃくちゃ多いのだが、私はもう擁護しなくていいと思っている。トリノの件もあるし、去年のNotteStellata(ちなみにこのショーは震災関係のイベントです)の時からずっとこの調子だったので。同じような人たちが、羽生結弦が演技中に客席に近付いただけで奇声を上げてるんでしょう。
少なくとも「春よ来い」や「天と地のレクイエム」、「Notte Stellata」の演技前後や、これらの演技中に客席に近付いてきただけで奇声を上げるような人の事を、私はファンと呼びたくないし、名乗って欲しくもない。むしろ名乗る資格が無いと思う。
なぜ応援している人が静かに鎮魂を祈っている時に、奇声を上げられるのでしょう。海外からのお客様だったとして、外国には鎮魂の文化が無いんですか?世界各地でテロの犠牲者の追悼イベントがあったりすると思いますけど、そういう場所で酒を飲んで、ハメを外してもいいんですかね?私には理解できませんし、理解するつもりも許容するつもりも、一切ありません。それとも「沢山人が死んでよかったね」とでも思ってるんですか?
「今は過渡期だから」とか「外国の人だから仕方ない」とか、いつまでですか?いつになったら改善されますか?少なくとも私は2019年からこの手の人たちの存在について5年間耐えました。耐えただけじゃありません。都度関係各所にメールやアンケートも送っています。
 
あまり気分が乗りませんでしたがチケットもあるし…という感じで、昨日4/13には渋々、イオンシネマ幕張のディレイビューイングに行きました。
私は前から4列目だったんですが、このディレイビューイングのお客さんも最低最悪で、私の左側に座っていた人は上映中にスマホを弄りだしました。具体的に言うとLINEで返信しようとしてましたね。なにしろ輝度Maxなんじゃないかという明るさでしたのでよく見えましたよ。お花の写真も見えましたね。それは急ぎの用なんですか?😊「止めて下さい」と言って止めてもらいましたが、あなたは謝りもしませんでしたね。しかも上映中、何かを食べているのか何なのか、ずーっとカサカサ音を立てていたので、こりゃダメだと思ってノイズキャンセリングのイヤホンをつけました。おかげで小さな音でディレイビューイングを楽しめましたよ✌️上映が終わってすぐ、真っ先に会場を去りました。右側の人も右側の人で、上映途中で入ってきて謝罪はあったものの全体的に4DXな方だったので、我慢の限界だったからです。
 
本当にもう、疲れました。いつですか?いつになったら鎮魂のプログラムで騒がなくなりますか?いつになったら公演中にスマホを弄らなくなるか、具体的に教えてもらっていいですか?…と考えるのも疲れました。私が現地に行かなければいいんです。
羽生さんや運営サイドに何かしらのアナウンス等をして欲しいところではありますが、これまでずっと放置されてきたので、何となくですがこれからもダメだろうなと思います。
なので私の「現地通い」はチケットのとれてるFaOI幕張金曜で終了です。土曜日もチケット取れてますが、もういいかなって。リセールに流します。他の人の演技中にスマホ弄る人もいるし、変な人が隣に座ってしまった時の精神的負担が大きすぎる。
羽生結弦さんは、私みたいに細かいことまで観たい・聴きたいという人には向かないコンテンツになりました。羽生さんの声を遮ってまで叫びたい、あなたたちのような無神経な人向けのコンテンツになったと思います。良かったですね。そのうち、もう誰もあなた達を注意しなくなる事でしょう。そしたら皆さんの勝利です。これからは皆さんたちだけで楽しんで下さい。私は疲れましたので、今後は家で楽しみます。
 
羽生結弦さんの会場を彩る色とりどりのバナーの1人にはもう二度となれませんが、今までどうもありがとうございました。