あおなじみ

日常生活。恨み節。性別捨てたい非国民。ネガティブ。

'20全日本羽生結弦感想メモ

2020年内に出しておきたかった全日本の感想書き散らしです。

 

●僕の演技が終わってから1秒だけでもいいんで…

世の中、鈍感な方が生きやすい。当たり前だけど、気にしいの人の方が病む。そして羽生結弦さんに関しては完全に後者だ。

いきなり自分の話になっちゃいますけど、去年の台風被害ですごくムカついた事があるんですね。
台風のとき、ある競技がやってたんですけど、その競技の選手が「被災地を励ませたんじゃないかと思います」的なことを言ってたわけです。
「なんの了見で言ってるわけ?うちは見てねえけど?壁が剥がれて廊下びしょ濡れでそれどころじゃねえんだけど?」って思いましたね。
だって実際、テレビのむこうの、競技場にいる選手が今まさに困窮してる人に対して何かしてくれます?してくれないですよね?
壁の漆喰直したり、ずれた瓦を直したり、電気の配線を直したりしてくれます?無理ですよね。荒れた畑を元に戻せます?無理ですよね。

しかし羽生結弦さんは、自分の無力さに自覚的だからこそ「僕の演技が終わってから1秒だけでもいいんで」と言うのだ。
ライブで会見を見ていて「そこまで言わなくていいのに!」と思って泣いてしまった。
だってここまで言ってしまえるのは本物だもの。こんな風に言えるのは、傲慢な「励ませたと思いま~す」や「励ます為にやりました~」とは違う、本当の本物の真の思いやりですよ。

スポーツとか芸術って、余裕のあるときにしか受け止められない。でもそういうことを、羽生さんはわかってるんだと思います。
千羽鶴や、千羽鶴のようなものを送ったところで、何にもならんのだということを、よくわかっている。お手紙を書くだけでは貧しい子供の腹が膨れないという事も。(だからこそオリンピックについて厳しいコメントをしたのではないかなと)

震災の時もそうだったけど、きっと本当はもっと直接的な手助けをしたいのではないかと思う。
でも喘息もあるし、自分が行ったところで騒ぎになってしまうかもしれない。そういうジレンマを常に抱えて生きているんだろうなと改めて思わされました。
もっと無神経な性格だったら生きやすかったろうにね。

でもそんな繊細さを持っているからこそ人を励ませるんですよ!と言いたい。
あなたのメッセージは私みたいなひねくれ者の心も動かしてます。卑下する必要はないんです!本当に!


●「犠牲」について

一部で物議を醸した「犠牲」というワードについて。これ、個人的には宮沢賢治的な何かを感じたんですよね。
「自分だけ幸せでいいのか」という。すごいマイナスに捉えてる人が居たけど、自己中心的な意味ではない。
自分が勝つことによって敗者が生まれる、でも皆で幸せになりたい、しかし勝負事なのでそうはいかない、というような。
私が真っ先にイメージしたのは「銀河鉄道の夜」に出てくる蠍でした。
(ますむら版がKindleでめちゃ安く買えたので持っているにも関わらず購入しました。読んだこと無い人は是非)
あと個人的に羽生さんは自罰的なところがある人だと思っていて、一人でいるとどんどん内に内に潜っていっちゃうタイプだと思うんですよね。

天と地と」のプログラム自体も死の香りがするプログラムで、上杉謙信公がモチーフなので仏教(真言宗)の要素が含まれていると思う。
般若心経では「空(くう)」という概念があるんですが、この概念は空の色に例えられたりもするので、あの衣装のデザインは「空」をイメージしているのかなと思ったり。沙羅双樹+空かな?と。
戦いの中で死んでいった兵士の骸を抱き嘆く羽生結弦(=上杉謙信)が見えるような気がしましたよ。

まあしかし、あのものすごい「天と地と」の後、会見で衆生の苦しみを味わっているかのようなご本人からのコメントがあって、それでもなお延々とジャッジや連盟にキレてる人って、ものすごく業が深いよね。
ああいう人たちって「羽生結弦さんの持っている苦しみをファンの我々で軽くしてさしあげよう!」とか思ってんのかな?無理だよ。
うちらファンごときじゃ救えないですし、助けられないよ。「ゆづるは連盟やISUにいぢめられてつらい想いをしてる」と思い込みたい人もいるかもしれないけど、もうそういう浅いところにいないんだよね。そういう問題ではないと思う。
むしろこういう人達が、落書きしたり誹謗中傷をしたりして無駄な犠牲を増やし、ご本人を苦しめている。
上杉謙信と同じような、生きる上での、戦う上での苦しみを味わっているんじゃないかな。本当に出家しちゃうんじゃないの?と思っちゃいましたね。世界の平和を祈るために。


●神様が見ていてくれている

これは私の個人的な考えで、滅茶苦茶気持ち悪がられると思うんですけど、羽生結弦さんの身に起きることは全て神仏の思し召しだと思うことにしてるんです。結構前からそう思ってるんですけど、ある種の運命論者なので。
羽生さん自身はどういう風に思ってるのかは知らないけど、Mrサンデーのミタパンさんのインタビューの中で「神様が見ていてくれているんだなって思いました」と言っていて、あ、やっぱり羽生さんはちゃんと神様を信じてるんだなあと思ったんです。

で、何かを「信じる」ということはどういうことなのかって事なんですけど。
「結果」があるから信じるっていうのは、本当に信じている事にはならないんですよ。それは「結果を信じている」というだけです。
そんで、羽生さんの行った神社に行く多くの羽生ファンも「結果を出してくれる神様を信じている」だけで「神様そのものを信じている」わけじゃないと思う。
でも羽生さんの場合はちゃんと「神様を信じている」んですよね。信じてる度合いが違うんです。たぶん。
だからいつも神様が手を貸してくれるんじゃないかなあと。そう思うんですよね。

GPFのときバルセロナに行って、サグラダファミリアに行ったときに「うわ、まじで神様いるわ」って思ったんですね。あるいは、そう思わされたというか。こんなの作れるのすごくね?神いるんじゃね?っていう。
ガウディがサグラダファミリアで表現したものを、羽生結弦は氷の上で表現するんじゃないかなあと、そう思った全日本の「天と地と」でした。


セクシュアリティジェンダー

最後に今のところあまり指摘されていなさそうな「Let Me Entertain You」と「天と地と」の共通点について。
これ二つともセクシュアリティジェンダーに関係があるプログラムですよね。

天と地と」は毘沙門天を信仰し、死ぬまで女性との関係を持たず、女性物のような着物を着ているなど女性説もある上杉謙信がモデル。
現代的な感覚から見ると「子孫を残さなかったから女である」というような考えは「古い」としか言いようがなく、「異性愛者じゃなかったか、無性愛者などだった」もしくは「本気で仏教を信仰してた」というところじゃないかなあと思うんですけどね。
異性装のような格好をしていたというのも、今風に言うなら「ジェンダーロールに囚われず着たいものを着てた男性」という感じではないでしょうか。
(これはまさに羽生さんのことじゃん!て思います)

「Let Me Entertain You」はもろにゲイです。
検索して英語版Wikiなどを見れば「男性が男性を誘ってる歌」というのがわかるかと。
(ロビー・ウィリアムズさん本人はゲイではありませんが、羽生さんのセクシュアリティを掘り下げるのはアウティングやハラスメントになりかねないのでやめましょう)
完全にゲイの歌なので、検索してみたら海外ファンの人がザワついてました。もし今後オリンピックでも使うのであれば結構チャレンジングな選曲なんじゃないかなと思います。

正反対な表現にも意外な共通項があったなあ~と思いました。SPでの煩悩wをFSで浄化してくれそうな感じでいい組み合わせですよね。

 


それでは、Amazonから届いた復刊版「空中ブランコ乗りのキキ」を読みながらぼんやりと年を越そうと思います。
SPとMOIだけでしたが、感染対策で4日間滞在してました。夢のような長野での日々でした。
羽生結弦さんと次に会えるのはいつになるのかな。MOIの周回で2回ともバナーを見ていただけた気がしてちょっとびっくりしたし、じっくり回ってくれててありがたかった。

次に会うときまで、元気でいて欲しいです。皆さんもどうぞご健康で。