最近自分の趣味アカウントのTwitterを見ていて、近年の社会の動きだとか、政治のあれこれだとか、Metooの事とか、なんも知らない人多過ぎでは?と感じる。
そんな中、P&Gのトークショーでの羽生選手本人の本来の発言と思われる発言のレポを見て、羽生選手はカナダで生活しているだけあるなと思ったのですが、それを見たファンの感想が「全方向に気を使わなくちゃいけなくて可哀想」だった事には首を傾げた。
羽生選手が引退後に国際的に活躍の場を広げるならば、多様な家族の形を想定した発言をすることは当たり前だと思う。
ましてやカナダのトロントといえば「LGBTが世界一住みやすい」と言われる都市なので、同性婚、養子縁組、シングルマザー・ファザー、等々、様々な家族の形に配慮した発言をすることは当たり前なんじゃないかと思う。
社会的な影響力を考えたら、それくらいの配慮は今後も求められるだろう。マジョリティには屁でもない発言でも、マイノリティにとっては深く抉る話になる可能性を考えるべきだ。
世界的に活躍する人が日本的な感覚で行動して、無傷でいれると思う方がおかしい。
この辺の話はMetoo運動や、LGBTの話にも繋がってくる話だと思うが、公平でないものを公平にしていこうという世の中の動きが理解できていない人は羽生ファンに限らず沢山いる。
羽生選手の喘息向き合い方についておかしな解釈をし、おそらくADHDの人に対しての話の流れで「今の世の中は弱者ぶる人の声が大きくて嫌」と言ったフォロワーさんもいた。
もちろん、何故そういう事を言うのかとツッコミを入れたが、何が問題なのか全く理解できていないようだった。
内輪向けのアカウント内での発言ではあるが、あなたのフォロワーには持病を持つ人や発達障害当事者の人、発達障害のお子さんのいる人などもいるのに、そういう事を言ってしまうのはいかがなものかと思った。
発達障害診断済み(黒に近いグレー)であることを公表している私にだけそういうことを言うならまだいいが、私でなく世の中に対してと言っていたので、なおさらアウトである。
しかもおそらく私と顔見知りであろう人が、何人かそのツイートをお気に入りにしているのである。一緒に何度か食事をした人なども含まれているかも知れない。
その人たちは、発達障害の診断をするために通院するツイートなどをしていた私のことを内心では見下し、嗤っていたのだろう。
こういった人は発達障害の児童が授業でPCや電卓を用いたり、聴覚過敏の人がヘッドホンをすることに対して、ズルをしているだの逆差別だのと言うのかもしれない。
誰かが声を上げ、世の中に認識を広げなければ、そういった人たちが一生「ズルをしている」というような目線を向けられかねないというのが理解できないのだろうか。
「保育園落ちた日本死ね」のときも、ブログ主はさんざん叩かれたが、彼女が書いてくれたことで保育園不足や保育士の労働環境の悪さなどが明るみになった。
先日も介助犬を触らないで欲しいというツイートが回ってきたが、知られていないことは誰かが声に出したり文章にしたりして訴えなければ広まらないものなのだ。
羽生選手の持病である喘息を楯にして弱者の口を塞ぐなんて、あまりにも酷すぎる。本当にやめてほしい。
本人も自分の疾患である喘息を武器にして他者に鞭を打つような言動なんてしていないのだから、そんな風に利用しないで欲しい。
そうやって弱い立場の人間を叩いて、一体何がしたいんだろう。
例えばだが、こういうことを羽生ファンに限らずスケートファンの誰かが表立った場で発言したら、それを見た病気や障害のあるスケートファンはどう感じるだろうか。
現実社会で理解されにくいからTwitterに吐き出しているのにそう思われるなんて、と思いはしないだろうか。
もしそういった抑圧的な言葉を発した人が知り合いだったら、スケートの会場に行きにくくなったりはしないだろうか。
羽生選手は以前「演技を見ている間は辛いことを忘れてもらえたら…」というような事を話していたが、ファンがそういった加害的な発言をしてくるなら、日常生活における生き難さを忘れようにも忘れられないじゃないか。
ちなみに私は件の発言をした人とはガッツリ知り合いだが、今後顔を合わせたくないし、その人に対して私から何も悪いことは言っていないので、社交辞令的な謝罪すらもしたくない。
というか謝ったら他の障害や病気を抱えてるフォロワーさんに対しても失礼だと思うので、絶対に謝ったらダメなやつだと思う。
何度か一緒に食事に行った事もあるが、その人と出くわす可能性を考えたら私は金輪際そういった場に行くことは無いだろう。
もし羽生選手や他のスケーターが、(無配慮な)マジョリティーのことしか見ないのなら、フィギュアスケートの観客はどんどん減るんじゃないだろうか。
マジョリティーだけを相手にしていても儲かるかも知れないが、果たしてそれが正しいスポーツやエンタメの姿なのか疑問に思う。
そもそも現時点でフィギュアスケートというスポーツに低所得層はアクセスしにくい。だが果たしてそれでいいのか?と先日FaOI金沢に行って思った。
フィギュアスケートを見に来るのはだいたい50代前後の女性が中心だ。20~30代のファンもいるにはいるが、メイン層ではないし、見に来る人は基本的に生活に困っていない。
私は金沢で見かけた音楽フェスや野球で盛り上がる人たちの多彩さがとても眩しく見え、羨ましく思えてしまったのだ。そして、サッカーを見に行っていたときはこんな感じの雰囲気だったなあと懐かしく思った。
フィギュアスケートも海外の試合では(そもそも観客が少ないが)若い人もかなりいる。海外の羽生ファンは皆若い。海外のフィギュアのチケットも他のスポーツより高いと思うが、それでも日本ほどの偏りは感じない。
そしてこの偏りこそがファン同士の対立やごたごたを招いてしまっているような気がしなくもない。ファン層を固定化してしまうことは、衰退を招くんじゃないだろうか。
私は低学歴な貧乏人として、もっと色んな人が見に来て欲しいと思っている。
医者に「発達障害ってことにしてもいいけど働けてるしいいよね!」と言われた人なので生きにくさを感じまくっているが、私みたいなひねくれ人間がフィギュアスケートを見て幸せを感じている。病気や障害を抱えながらもフィギュアスケートを見たいという人はいるはずだ。
色んな人にフィギュアスケートにアクセスして欲しいし、楽しさを感じて欲しいのだけど、フィギュアファンには即物的な雰囲気があるので、もしかしたら自分らが見れればいいや!という感じなのかもしれない。
アイスショーの値段のつり上げ方を見ると、興業主ですらそんな感覚なのだろうなという感じがする。
音楽イベントなどではクラウドで資金を調達し入場料は格安で…というケースもあったりするが、アイスショーという形式的に難しいかもしれない。
スケオタとか羽生ファンはこんな感じでも、羽生選手やスケーターのみなさんは今後もガラパゴスな感覚に囚われず、多様な生き方をしている人達に目を向けて行って欲しいと思う。
そうすることで、マイノリティである被災地の方々の為になることもあると思うので。
(羽生アンチについても色々と記事にまとめてる途中でしたが、時間がかかるかもです。)